「どうでもいい」の未来を観る | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私の「どうでもいい」は無気力を意味しません。

 

おそらく、何かの拘りを捨てたものと思います。

 

先日の記事で述べた「成り行きに任せる事」にも通じるもの、もしくはそれ自体と言えるかも知れません。

 

即ち、「どうでもいい」は「自然な成り行きに全てを任せる事」を意味する可能性があります。

 

昨日願った事が早くも叶うのでしょうか。

 

 

 

私は内的に条件が整っている時、その未来を感じる事が出来る場合があります。

 

未来に望むであろう事を、今に先取り出来るのです。

 

結婚はそれが可能でした。

 

「どうでもいい」も可能かも知れません。

 

そんな気がします。

 

やってみる他ありません。

 

 

 

結婚は愛でした。

 

「どうでもいい」からは何が発見出来るでしょう。

 

私は何だから、「どうでもいい」と言えるのでしょう。

 

それを見付けるのです。