ここ数日は内的に何も無かったわけではありませんが、先に給料の不満を何とか片付けなくてはそれも意味がありません。
今日ようやくこの不満をぶつけるべき相手に気付きました。
それは派遣会社でも派遣先の会社でもありません。
私自身です。
「この不満は私に対して言っているのだ」という事を悟りました。
その自覚を持って私の中に在る不満と相対する事を決めました。
この不満は「給料を上げろ」とは言っていません。
ただ「給料に不満が在る」とだけ言っています。
私は「内なる世界に在る不満を、外の世界の給料に投影させていたに過ぎない」と解釈しました。
「目に見える外の世界の給料は、目に見えない内なる世界の不満を映し出す鏡だった」という事です。
次に私は「この不満自体に意味があるのではないか?」と考えました。
「この不満こそが私が望んだもので、これを味わう事自体が目的ではないか?」という事です。
その考えは正しい事のように思えました。
同時に「出来れば今日中に終わらせたい」と思いました。
解決に期限を求めたのは今回が初めてです。
かなりの年月溜め込んでいたに違いありません。
「まだこれ程のものが自分の中に在ったのか」と思うくらい、それは私の気分を悪くさせています。
有り体に言えば「かなりしんどい」です。
味も悪くて栄養も無い物を大量に食べたかのように、吐き気すら覚えています。
しかし、これは避けて通る事が出来ない道です。
不満の先にはその反対概念が在るはずです。
「不満が在る」という教えは、同時にそれが在る事も示しているでしょう。
私は不満の反対概念を知りません。
満足なのか、感謝なのか、私の中で「これが不満の反対概念だ」というものを見付ける必要があります。
知識で知っても意味がありません。
それを感じないと、知った事にはならないのです。
それが給料の、不満の本当の役割であり、意味である事でしょう。
それを知って初めて、私は給料も不満も心から受け取れるのです。