敢えて「好き」を除外する | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「好きではないを感じる」と言ったところでしょうか。

“好き”に固執していると本当は何を感じているのか理解出来ない問題なら、一旦“好き”を除外してみるのも手でしょう。

そうすれば“好き”以外の可能性が見えて来るかも知れません。

感じているものが“好き”ではないのは明白なので、その事については抵抗はありません。

「好きではない。なら何だ?」と問い掛けてみる事にします。