愛のインプットとアウトプット | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

胸の疼きが急激に弱まったところで、変な考え(仮説)が浮かんだので書き留めたいと思います。



愛する為には愛する為のエネルギー源が必要。

そのエネルギー源とは愛されているという感覚、もしくは事実。

愛されていないと愛し続ける事が出来ず、愛していないと愛され続ける事が出来ない。

愛は双方向と言うよりは円環。

やり取りではなく循環。

エネルギー源となった愛が同じ形で出て行くとは限らず、出したい愛の形がエネルギー源となる愛の形と同じとは限らない。

この事から、無償の愛と言うのは厳密には不可能。

愛を提供する為には愛の供給を受け続ける必要がある。

しかし、愛の供給を受ける対価は「愛そう」という意思と「愛を受け取ろう」という意思であり、愛は既に在るので事実上は愛は無償である。



…と言った感じです。

私がIさんを「愛したい」と思った時、そのエネルギー源はIさんからの愛とは限らないという事です。

誰かからの愛をエネルギー源として、初めてIさんを愛する事が出来るという可能性があります。

もちろん、Iさんからの愛なら言う事はありませんが、その可能性を期待するのは無理があります。

ともかく、それが事実かどうかを確かめるには受け取り拒否をしている(かも知れない)愛に気付かぬ事には始まりません。