何で一緒に居なきゃならないんだ? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

どうにも、私の恋愛には「付き合う」という概念は存在しないように思います。

「お互いに好きなまま離れているのがベスト」くらいに思っているかも知れません。

潜在意識のブロックがそうさせているに違いない。

そう思って今まで色々とやって来ましたが、何も変わらないところを見ると、ブロックだったのは「好きな者同士は一緒になるのが当たり前」という考え方のほうだったのでしょうか。

今一度、この考え方が自分にとって本当に正しいかどうかを見詰め直すとしましょう。



…とここまでは朝に書いたものです。

昼となった今、「何で一緒に居なきゃならないんだ?」という事を考えております。

これはふと思い付いた疑問です。

最近では「ふと思った事が現実になる(実にどうでも良い事ばかりですが)」という事が繰り返し起こるので、これもそうなのでしょう。

それが誰であれ「一緒に居なければならない」という事は無いでしょう。

この様な形は“観念”と言い、それが如何な善意に基づいていたとしても本質的には自由を奪う制限に過ぎません。

「一緒に居たい」なら何処にも制限は有りません。

これならば本質的には自由なのです。

「一緒に居なければならない」と「一緒に居たい」は本質的な面から言うと全くの正反対です。

お互いは同調しているようで、その実は対立しているのです。



私の中に「一緒に居なければならない」という観念が存在しているならば、私のやるべき事はもうありません。

観念は気付いた時点で解体されるからです。

観念というノイズが消えた後、そこに何が見えるのでしょう。



観念という言葉を久し振りに使いましたねぇ。