活動の切っ掛けを | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

先日、寝不足と酷い肩凝りの中で仕事をしながら、今までの退職歴を振り返っていました。

そこで、「“辞めたい”から辞めていたんじゃなくて、“やれない”から辞めていたんじゃないか」という可能性を見ました。

適当な理由を付けて辞め続けたり、愚痴や不満を溢し続けたのは、「“やれない”という事を周囲にアピールしたかった」のでしょうか。

「残業しなさい」「働きなさい」と言われる度に、「何故、俺にやれない事を皆でやらせようとするんだ」と無意識の内で叫んでいたのでしょうか。

もし“やれない”のなら、その理由を自らの内に求めなければなりません。

全てにおいてその意識が作用していたら、稲田がやりたい事までやれなくなってしまいます。

また、それが正しい受け取り方をしているとも限りません。

稲田が「この感覚は“やれない”と言っているのだ」と決め付けてしまえば、全ての土台がそれに固定されてしまいます。

真の本音が別にあってもそれが見えなくなるし、真の本音に沿った思考や行動も塞がれたままとなってしまいます。

「辞めたい」よりは「やれない」の方が感覚的にしっくり来るので、仕事を辞める・辞めないの間に答えが存在しない事は理解しました。

そうなると辞めても辞めなくても意味が無いわけで、意味を求めるなら「やれない」のさらに奥を見なければならないでしょう。



(朝に書いた分はここまで。以下は昼から書く分)



「自分は常に自分に正直に在る。如何に有り得ない答えが出てもそれを否定しない」

「動くタイミングは必ず来るから、その時までジッと待つ」

…この二点を意識の中心に据えながら「やれない」の奥を見詰め続けると同時に、「仮に今やっている仕事を辞めたらどうなるか。何が一番困るのか」を問いました。

そうすると、「やる事が無くなるのが一番困る」という答えが返って来ました。

感覚的にそれほど遠くはないと感じたのでさらに追求したところ、稲田は「やる事が無い」とか、「やりたい事が無い」という言葉を無意識に繰り返していた事に気付きました。

現在、様々な矛盾が稲田の中に存在していますが、個人的に最も重要なのは「ジョセフ・マーフィーの様な活動がしたいと考えている顕在意識に対し、潜在意識はそれをやりがってはいない」という点です。

その活動だけではありません。

あらゆる活動をやりたがっていないのです。

無論、今やっている仕事もやりたくてやっている(と感じられる)事ではありません。



「やれない」は、やりたくない事をやらざるを得ない状況に対するフラストレーションを言語化したものであろう。

やる事が無くなって困るのは、やりたくないと感じている事をやらなくなれば、「やりたい事が無い」と訴える機会が消失してしまうから。

…というのが、取り合えず仮の結論ですがここでは終われません。

まだ「真意を悟った」という感覚を得られていないからです。

おそらく、その真意の中にやりたい事とやりたくない事が納得する形で全て含まれているものと思います。

例えば「自分のやりたい事は○○である。従って、それ以外の事はやりたくないし、やる気もないのだ」…という形がそれですね。

その為に、顕在意識で出した考えよりも潜在意識が提示している想いを先に知る必要があるのです。

顕在意識からも辛抱強く「そうしたいんだけど~…」と訴え続けますが、「お前(潜在意識)は今、何と言ってるの?」と聞く方に重点を置かねばなりません。

潜在意識がやる気になってくれないと、顕在意識でも「ああ、俺は今それをやるつもりはないな」という事が丸解りになって、動く為の気力が湧きません。

活動の切っ掛けは、「やりたい事が無い」のさらに奥に在る事でしょう。