求めるは“楽しい” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

パチンコも風俗も、そこに見たのは楽しさであります。

やって楽しいと感じる事をして収入が得られて、《一緒に居て楽しいと感ずる女性が傍に居る》なら、おそらくそれらの出番はもう無くなるでしょう。

何故《》で括ったか?

稲田にとって、「自分の傍に誰かを置く」という事は有り得なかった考えだからです。

有り得なかった事が現れたその記念としておきたいと思います。



…それは良しとして。



今、稲田は自分の中に“楽しい”を求めております。

それは目に見えぬ感情ですけども、必ずや引き出せるものと思います。

長年、稲田の意識を占めていたのは“つまらない”でありました。

そのせいか、“楽しい”に意識の焦点を合わせても、その都度“つまらない”に引き戻されてしまいます。

しかし、引き戻されながらも、意識は“楽しい”へ寄ろうとしているのを微かに感じます。

今日は眠いのでこの辺で。