第八話 渓斎英泉「玉屋内花紫」 | おじさんの気ままなブログ

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和田彩花 "浮世絵10話"
第八話 渓斎英泉「玉屋内花紫」
http://asianbeat.com/ja/ukiyoe/008.html



ここから転載

「ベロ藍」を最初に使った浮世絵師
 渓斎英泉という、江戸後期の浮世絵師を初めて知ったのは、2014年冬、取材で行った、江戸東京博物館の「大浮世絵展」でした。
 青い! が初見の感想。


正確には青でなく藍色なのですが、「色がないけどある」とでも言えるような藍色が目のなかに飛び込んできたんです。
この藍色は「ベロ藍」といって、江戸後期にオランダを経由して日本に入ってきた化学顔料です。
ベルリンで最初に作られた顔料ということで、ベルリン藍がなまってベロ藍と呼ばれるようになったそうです。

 ベロ藍って、音の響きが印象的ですよね。
江戸の浮世絵師たちも、すぐにベロ藍に夢中になります。
それまでの藍色は、あせやすかったり、グラデーションに向かなかったり、浮世絵には扱いにくかったようです。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」などの印象的な青もこのベロ藍なのですが、ベロ藍を最初に使った浮世絵師が英泉だそう。
最初に使うって、英泉すごい!

 私も、小学校のときの美術の授業で、布をこんな色で染めたことがあります。
すごく印象的で、きれいな色だなって当時も思いました。
私たちが思っていた以上に、江戸の町には西洋のものが入ってきていたんですね。
でも、江戸後期の浮世絵はますますカラフル化が進んでいて、ベロ藍一色の浮世絵はそうとう異色な存在だったんじゃないでしょうか?

 ちょっとだけ、大好きなマネに通じるものを感じました。
私がマネを初めて観たときの第一印象は、なんでこんなに黒いんだろう?でも、暗くてもすごくカラフルに見えたんです。
その感覚に近いものを、渓斎英泉のベロ藍を使った絵の実物を初めて観たとき感じました。
一色な分だけ、グラデーションも強調されることになり、きっとカラフルに見えるんですね。
人間の脳って、ほんとにおもしろい。
江戸の浮世絵ファンもそんなふうに、ベロ藍一色で描かれた英泉の浮世絵を観たのではないでしょうか。

浮世絵師は流行に敏感
 改めて、浮世絵って雑誌的な役割を持っていたんだなって思います。
時代の最先端をどんどん取り入れて紹介していく。
でも、それは浮世絵師がオリジナリティを求める気持ちというより、商売のためなところがすごい!新しい最先端を求める消費者がいて、その人たちが求める最先端を送り続ける版元や浮世絵師、さらには高度な印刷技術を進化させていく彫師や刷師がいる。

 日本のようにさまざまなジャンルのファッション誌が存在する国は世界にないという話を聞きました。
いまも昔も、いろいろな人たちが自分の趣味や嗜好を貪欲に求めていく日本人の気質って変わらないんですね。
買う人がいなかったら、そもそも商売自体が成り立たないわけですから。
浮世絵もファッション誌も同じ。
というより、浮世絵には現代のいろいろなものの原点があるようにしか思えなくなってきました。
浮世絵師は流行に敏感であればあるほど、自分の絵が売れる可能性が広がります。

 英泉が浮世絵の世界に入るきっかけは、家族を養うためだったそうです。
浮世絵のスーパースターになって、いい暮らしがしたい!とか考えたのでしょうか。
江戸後期は、浮世絵の技術も進み、それを求める人たちの嗜好もどんどん広がっていって、商売としての浮世絵はさらに派手になっていきます。
そんななかで、葛飾北斎や歌川広重といった、世界中で知られる浮世絵師が登場するいっぽうで、歌川国貞のように当時は圧倒的な人気があったにもかかわらず、一般に語られなくなってしまう浮世絵師もいるわけです。
英泉も後者ではないでしょうか。
私も名前さえ知りませんでした。

 江戸の「浮世絵戦国時代」ともいえる状況下、商売のためにさまざまなタイプの浮世絵が量産されていきます。
英泉も、同じ人が描いた浮世絵なの?と思ってしまうような浮世絵もいろいろ制作しています。
絵のタイプがたくさんあって、いろいろなことをしているから、後世にわかりづらくなってしまったのかもしれません。
写楽なら役者絵とか、歌麿なら美人画といったくくりがしづらいのが、歌川国貞や渓斎英泉の、美術史的な弱点だったのでしょうか。

渓斎英泉の最初のファン像
 “売れるために”を第一にしつつも、新しいことに果敢にチャレンジしていった江戸最先端の浮世絵師たち。
新しい「色」に出会うなどということには、画家としての血が騒いだのではないでしょうか。
私も最近、アンジュルムのなかでのメンバーカラーが青から赤に変わったのですが、赤という色に敏感になりました。
メンバーカラーにこだわって普段のお洋服を着るわけではないのですけど、赤い色のお洋服を見ると、ああこれからこういう衣装を着るようになるんだなと思ったりします。
マネの黒に出会ったときも、それから黒という色がとても気になるようになりました。



 英泉も、西洋からやってきたベロ藍に出会ったとき、これでどんな浮世絵を描くのか、夢中で考えたのだと思います。
商売であって商売でない。
そんな気持ち?ふつうは海とか空に使ってみようと思いますよね。
ところが、英泉は大胆にもそれで江戸の人気遊女たちを描こうとしたわけです。
浮世絵のカラフル化が進んでいて、最先端の着物の柄も派手に彩色できるのに、あえて藍色の濃度とグラデーションだけで勝負する。
かぎりなく白黒に近い彩色にするんです。
やっぱり、英泉はマネに近いのかもしれません。

 どんな浮世絵ファンが、英泉の絵に飛びついたんでしょうか?案外、浮世絵にそれほどこだわってなかった人が夢中になったのかも。
浮世絵にあまりにもこだわっている人は、先入観が強くて、浮世絵はこうじゃなきゃ!みたいなことを言い出しそうです。
「これは違う」とか「浮世絵らしくない」といった外野の声がいまにも聞こえてきそう。
でも浮世絵師たちは新しいことをしたいからしているわけで、そういう評価はきっと嬉しくないですよね。
「なになにらしい」とか、「らしくない」といった言葉にこだわる必要ってないんじゃないかなと思うんです。

 でも、かくいう私も少し前まで、絵画に「らしさ」を求めていました。
絵を観ることが好きになって、絵画はこういうものだということを知ってしまい、今度はその先入観から離れられなくなってしまったんです。
話が少しだけそれますが、だから現代アートがずっと受け入れられなかったんだと思います。
展示品を観ても、ん? これが評価されるの? なんで? とか思ってました。
でもあるときから、そういう先入観をとっぱらって、楽な姿勢で絵を観ることができるようになったんです。
そうしたら、現代アートを観ることもとても楽しくなってきました。

 浮世絵に対する見方もそれと同じだなと思います。
いろいろな浮世絵を受け入れていった、江戸の浮世絵オタクさんたちのパワーってやっぱりすごい。
江戸時代もいろいろ大変なことはあったわけですが、でも私が昔想像していたイメージとはぜんぜんちがう楽しい世界がそこにはあった。
楽しいと、意外にいろんなものを「いいんじゃない、いいんじゃない」っていう感じで受け入れやすくなるのかもしれませんね。

 渓斎英泉や歌川国貞が明治以降あまり評価されなくなった背景には、もしかしたら芸術はもっと崇高なものじゃなくちゃいけないし、商売を前提にしたものなどありえないといった、明治以降の私たちの先入観もあったのかもしれません。
江戸の浮世絵を愛してやまないみなさんのように、私たちも素直に絵画やアートにもっと楽な気持ちで、楽しく接していけたらいいなと思います。

江戸の人たちの普通の姿を知りたい
 私が浮世絵の版元、今でいえばプロデューサーだったら、どんな絵を英泉に書いてもらおうとするでしょうか。
江戸にタイムスリップした気持ちで考えると楽しいです!私なら、おもしろいことをしている人を描いてほしいかな。
江戸時代という全体は浮世絵を通していろいろ知ることができましたが、場を盛り上がらせようとしている人とか、個人の人がどんなことを日常の暮らしのなかでしていたのかをもっと観てみたいです。
最先端でない江戸の人たちの暮らしを知りたいなって思います。
かしこまってない、家族の肖像画とかも観てみたいです。

 逆に現代に英泉に来てもらえるなら、アンジュルムの、賑やかな楽屋風景を描いてほしいですね。
いま以上に芸術を当たり前のように暮らしのなかに受け入れていた江戸時代。
そんな時代は二度とこないかもしれないし、英泉や国貞といった当時の人気浮世絵師が現代の世間に有名浮世絵師のように知られていないことを少し悲しく思ったりもしますが、でもこうして出会えて、浮世絵を通していろいろなことを教えてもらうことができました。
ぜひたくさんのみなさんに、ベロ藍を最初に浮世絵に取り入れた先駆者のことも知っていただけたらなと思います。

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