語りだしたら、なかなか終わらない話 | Down the fairway

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ゴルフ屋の社長が書くブログ

世界で初めてプロゴルファーを名乗ったのがアラン・ロバートソン(1815-1859)です。

 

彼は祖父の時代からクラブやボールの製造を生業としていました。当時、皮に鳥の羽根を詰め込んで作ったフェザリーボールはとても高価だったこともあり、ロバートソン家は裕福だったようです。加えて人間性も素晴らしかったようで、彼の死後R&Aは会員に向けて、未亡人を救済するための募金を開始したところ、家を一軒建ててもお釣りが来るほどの金額が集まりました。

 

翌1860年、アラン亡き後のゴルフ界で、最強のゴルファーを決めるための大会が開催され、これが第1回全英オープンの起源となりました。

アランの下で働いていたのがトム・モリスです。

 

トムはフェザリーボールを製作しながら、樹脂で作られたガタパーチャボールで遊んでいるところをアランに見つかり、解雇を言い渡されます。安価なガタパーチャが流通することをアランが恐れたためです。こうして、セントアンドリュースを追われたトムはプレストウイックに移り、ボールを作り、グリーンキーパーとしてコースをメンテンナンスし、レッスンで生計を立てました。彼はアランの死後セントアンドリュースに呼び戻され、グリーンキーパーとして腕を振るい、またコースを大胆に改造しました。生涯で全英オープンを4回制覇しています。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ジェームズ・ブレイド、ジョン・ヘンリーテイラー、ハリー・バードンの3人がゴルフ界を席巻します。

 

1894年から第一次大戦で中断されるまでの21年間に行われた全英オープンで、ジェームズ5勝・ジョン5勝・ハリー6勝と殆ど持ち回りのように優勝を分け合いました。また、ジェームズは1899年から14年間連続でトップ5以内という驚異的な成績を残しています。

さて、アラン・ロバートソンとトム・モリスの共同設計で開設され、

その後ジェームズ・ブレイドによって改造されたのが

カーヌスティ・ゴルフ・リンクス。

 

1999年の全英オープンでは球史に残る「カーヌスティの悲劇」など数々の物語を紡ぎながら、先ごろ全英女子オープンを終えたところです。
 

全英オープンが開催されるコースは、カーヌスティに限らず、このような深遠な歴史を刻んでいるのです。ゴルフの歴史を語りだしたら、なかなか終わらないので、今日はこの辺りで失礼します。