ゴルフクラブで殴打 | Down the fairway

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ゴルフ屋の社長が書くブログ

大手ハンバーガーチェーンの元社長が、ゴルフクラブで奥様を殴打したという不穏なニュースを耳にして、驚かれた方が多かったのではないでしょうか。

 

ゴルフクラブは、人が楽しく健康になるため、あるいは友情を深めるための道具ですから、使い方を間違えないようにしていただきたいものです。


ゴルフ史に初めて登場する女性はスコットランド女王のメアリー・スチュアートですが、夫ダーンリーが療養先で暗殺されたとき、


使者「ダ、ダーンリー様が暴漢に襲われ、あえない最期を!」
 

女王「なんですって!夫が・・・?それで犯人は何番アイアンを使ったのかしら?」
 

・・・というブラックユーモアが語られるのですが、メアリーがゴルフ界に果たした役割はとても大きなものがあります。
 

例えば、メアリーはキャディという用語の生みの親と言われています。これは幼少期をフランスで過ごしたメアリーが、カデと呼ばれる従者を引き連れて、スコットランドに帰国したことにさかのぼります。活発なメアリーは狩猟やゴルフに出かけるたびに


「カデ、出かけるわよ」
 

と言ったことから、後になまってキャディになったものです。

ところでメアリー自身は、映画「二人の女王 メアリーとエリザベス」で描かれたように、波乱に満ちた生涯を送っています。ゴルフとは直接関係はないのですが、史実を簡単にまとめましたので、ご覧頂ければと思います。

◆ ◆ ◆

16世紀にはイギリスと言う国はなく、南部にプロテスタントのイングランド、北部にカトリックのスコットランドと言う2つの国が宗教や領土を巡り争っていました。
スコットランドは、野心的なイングランドのヘンリー8世によって絶えず脅威を受けていました。そこでスコットランドのジエームス5世は、同じカトリックのフランスとの同盟関係を強固なものにするために王妃を迎えました。そして1542年、二人の間に誕生したのがメアリー・スチュアートです。

ジエームス5世は、イングランドの度重なる侵攻による心労がもとで、若くして亡くなり、メアリーは生後6日にしてスコットランド女王になりました。

ヘンリー8世にとって、ジェームス5世が亡くなり、メアリーが生まれたことは、またとない朗報でした。ヘンリー8世は、息子エドワード皇太子(当時5才)とメアリーの婚約を目論み、スコットランド貴族を買収するなどして婚約にこぎつけました。
しかし、メアリーの母マリー・ド・ギーズは、目的のためには手段を択ばないヘンリー8世に対して強い警戒心をいだいてました。そこで、ギーズは、メアリーを人目の届かない修道院に匿いました。

一方、フランスもスコットランドとの同盟関係を固めるためにメアリーとフランソワ王子との婚約を望み、丁度ヘンリー8世が亡くったこともあって縁組が整いました。5才になったメアリーは母と別れ、侍女を務める同年齢の4人を伴いフランスへ渡りました。この4人の存在は幼いメアリーの人生においてかけがえのない宝でした。

16世紀のフランス宮廷は、ヨーロッパの中でも最も洗練された華やな存在でした。イタリアで始まったルネサンスがフランスで花開き、絢爛たる宮廷文化へと発展したのです。このような環境で育ったメアリーは、その愛らしさと朗らかさで周囲を魅了しながらフランス王妃としての教育を受けて成長しました。フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語などに通じ、馬術や狩猟など文武両道に秀でた才能を見せたことから、義父のアンリ2世に「こんな完璧な子どもはかって見たことがない」と言わしめる成長ぶりでした。
 
フランス王家では、スコットランドの女王にして未来のフランス王妃メアリーはかけがえの無い存在として大切に育てられ、1558年にノートルダム寺院でメアリーとフランソワ王子の結婚式が行われました。メアリー15才、フランソワ14才でした。美しく成長したメアリーは180cmの長身に白を基調としたドレスを身にまとい人々の眼を一身に集めました。翌年、アンリ2世が事故死したため王子はフランソワ2世として即位。こうして、メアリーはスコットランド女王であると同時に、フランス王妃となりました。
しかし2年後の1560年、病弱だったフランソワ2世が亡くなると、メアリーは18才の若さで未亡人になりました。フランソワ2世との間に子どもがないため、メアリーはスコットランドに帰国せざるを得なくなり、メアリーの華やかな時代は終わりを迎えました。


帰国後のメアリーは、その若さと美しさ、穏やかな人柄で人々の心をつかみました。その後、未亡人となったスコットランド女王をめぐり、全ヨーロッパの王家は激烈な争奪戦を展開したのですが、メアリーは自分の意思で4才年下のダーンリー卿ヘンリー・スチュアートと再婚して周囲を驚かせました。しかし、ダーンリーは見栄っ張り、意思薄弱、威圧的、権力への執着、行政能力は皆無というありさまで、1年も経たないうちに2人の関係は冷え切ってしまいました。
メアリーは寵臣で精力的な軍人ボスウェルと、夫ダーンリーへの対策を練るうちに信用は恋に変わっていきました。しかしボスウェルはメアリーの王冠にしか魅力を感じていませんでした。


1567年、病気療養中のダーンリーが住む屋敷で、すさまじい爆発が起き、瓦礫の中にダーンリーの死体が転がっていました。知らせを受けたメアリーは、犯人を探すことも、夫の死を悲しむことも無かったため、犯人はメアリーではないか、という噂が流れました。
 

夫ダーンリーが殺されてから3ケ月後、24才のメアリーはボスウェルと結婚し、国内外の顰蹙を買いました。このことに対して貴族が反乱を起こし、メアリーは逮捕、ボスウェルはメアリーを見捨てて逃亡したもののデンマークで逮捕され、10年後発狂死しました。国を追われたメアリーは、エリザベス1世によりイングランドで刑死。24年間の波乱の人生を閉じました。

尚、メアリーの子ジェームズはスコットランド王に即位し、エリザベス1世の死後はイングランド王として即位。以後スコットランドとイングランドは同君連合を形成し18世紀に大英帝国が誕生するきっかけになりました。