そりゃ思うよね
諦めるより無いから諦めたようでも、
もう何をどう足掻いても、
泣いても喚いても、どんなに嘆き悲しんでもどうしようも無いことなんだって頭ではわかっていても、
心は納得いかないんだよね。
いつまで経っても、「主人の死」に納得なんてものは無い。
淡々とも生きているような中でも、不意に湧き出る想いはあるわけで、
どうしてうちには前まであった、
ごくごく普通の生活風景がもう無いのかと、
世の中、なんら変わらず生きてる人たちが大勢いて、
それなのにどうして私が、どうして主人が、私たち家族がこんな思いをしなければならないのかと、
どこにやれば良いかわからない、この腹立たしいような哀しみ、怒り、そんなたくさんの想いが入り混じったものがまた顔を出す。
単に羨ましい…
そういう事か。
そりゃあそうだよね、前までなんら変わり無かったお互いの家族の風景。
それがある日を境にまるで道が分かれちゃったかのような生活になった。
出来ることなら私だって、あの頃の延長がそのまま欲しい。
何も起こらず、
不平不満を言いながらも家族が、夫婦が揃って笑う、怒る、時には泣く事もあるかもしれないけど、全てを共有して生きたかった。
もうこれ、一生思うだろうね。
自分がどうなって行っても、そこは無くならない想いだよね。シカタナイ😢