猪苗代湖クルーザー衝突「なぜ瑛大なのか」息子と両足失った母、悲痛な訴え
今年9月、福島県会津若松市の猪苗代湖で豊田瑛大(えいた)さん(当時8歳)=千葉県野田市=が近づいてきたクルーザーに巻き込まれて死亡し、一緒にいた3人も重軽傷を負った事故について、遺族の代理人弁護士が23日、福島市内で記者会見し、目撃証言など情報提供を呼びかけた。
【事故現場の動画】
遺族の代理人を務める山本達夫弁護士によると、瑛大さんは9月6日、父と母の舞子さん(35)、兄(10)、知人一家の計7人で日帰りで訪れ、湾内で水上バイクに引かれて滑走するトーイングスポーツを楽しんでいた。
瑛大さんら4人が水面に浮かんで順番待ちをしていたところ、近くのマリーナを出港してきたクルーザーが突っ込んできたという。現場は岸から300メートル以内で船舶航行区域ではなく、クルーザーは徐行が必要な場所だったという。
自身も両足を失う大けがをした舞子さんは「急に大きなエンジン音が聞こえ、一瞬の出来事だった。クルーザーはスピードが出ていた」と話しているという。また離れた場所で水上バイクを操縦していた父は、走り去るクルーザーを目撃したという。
記者会見にあたって舞子さんは「なぜ瑛大なのか。どうして助けてあげられなかったのか、自分が情けない。瑛大に対して『ごめんね』と『会いたい』という気持ちが頭から離れない」とコメントを寄せた。父はインターネット上の中傷により精神的に追い詰められたといい「瑛大を失ったことが何よりもつらく、絶望した」とコメントした。
県警は業務上過失致死傷容疑で捜査している。
生家エリア
世界的医学者・野口清作(英世)は、1876(明治9)年、この家のナンドと呼ばれる部屋で生まれました。この生家は、江戸時代後期、1823(文政6)年にこの場所に建てられました。清作が1歳半の時に落ちてやけどを負った囲炉裏や、上京の際床柱に刻んだ決意文も当時のままに保存されています。