叡智と安らぎに満ちた・・・そんな言葉を綴るとき、ヘルマン・ヘッセの晩年の顔が思い浮かぶ。

 自身を現象の一部として、老いて朽ちていくことを意識しながら、繰り返されるいのちの再生の中に、また自らの希望も見出している。
 たとえば、こんなふうに。
 「才能があり、洗練された人間はすべて、喜んだり悲しんだりすることがあるのと同じように、あるときは年寄りだったり、あるときは若かったり」する。
 「人は、かならずしも自分の年齢と同じ段階にいるとは限らない。内面的に年齢よりの早く年をとる人もよくあるし、年齢よりも遅れている人はもっと多い。そのような人の意識と生活感情は身体にくらべて成熟していない。そして身体の自然な現象に抵抗し、自分に自分ができないようなことを要求する」。
 
 自然を観察するようにわが身を観察する目に、常に希望のようなものを持ち続けていたようだ。

 サミエル・ウルマンに青春という有名な詩がある。
 
  青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。
  優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
  怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
  こういう様相を青春と言うのだ

 若いころ、この詩が嫌いだった。
 青春は、懐かしさとともに振り返られたとき、すでに青春ではないから・・・。
 
 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

 そして、若く=青春という図式がイヤだった。手におえない季節がまたこの青い春だもの。それに自分の青春を鑑みれば、愚かで、頼りなく、あまりに恥ずかしい。
 「水道をひねるように出てくる青春はイヤだ、イヤだ」と書いたのは誰だったっけ? 

 ヘッセに戻る。
 「人は成熟するにつれて若くなる」。ヘッセの言葉は、ウルマンの詩と似ているようで、なにかが違う。なんだろう・・・青年のふりをしない。そういうことかな。

 花咲くことは咲き終わること・・・。

 何度もページを繰る、そんな本の中に、このヘッセの一冊がある。


 しかし・・・幸いだなあ。本によってさまざまなものを受け取ることができる。文明に感謝。
 
 2010年、Google Booksが世界中の書籍の数を「現時点では、1億2986万4880冊」と発表した。150以上の機関からメタデータを集め、その10億件のレコードから、重複レコードや非図書・雑誌のレコードを除いて推測した数字だそうだ。
 さあ、自分の読んだであろう数を差し引いて・・・あと何冊読めば、世界制覇となるでしょう。