限りなくグレーに近い茶色 | 0811-weさんのブログ

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怪獣の声かと思い振り向くと、解体工事中のショベルカーの音だった。ムンクの叫びを音源化したら、こういう声なんではないか。首を前にもどしつつそう思った。
昼下がりの午後、マスクをして歩く。マスクは防寒になるし、なにしろ口髭を隠せる。最近はホルモンのバランスの関係で頬や顎にも髭の生えはじめた身としては今後も手放せないアイテムとなりつつある。
ニュースでいつも、弱者に皺寄せがいくと聞く。私は自分の皮膚でそれを感じる。ここ5年くらい冬場は霜焼けに悩まされているのだが、霜焼けの出きはじめる12月初旬は特に痛みが激しくて軽く壁にぶつけただけで悲鳴が出そうになる。弱まった皮膚は刺激にすこぶる弱い。ほかにも、10年前から花粉の時期に瞼が激しく痒くなるのだが、これは乾燥してダメージを受けやすくなったために起こる現象た。つまり、乾燥したところに花粉の刺激、まさに、かくから、かゆい、かゆいから、かくの悪循環である。「弱い」ところから壊れる。結局のところ、天秤に重石をかけたら重いほうが沈むといってるのと変わらない。だけど、あえて「弱者」を強調するのはきちんと思いをめぐらせてほしいと一般市民を牽制するためなのだ。常に他者を思いやれる世界が出来たら素敵だし、だれだってそれをのぞまいわけではないけど、人生の主役はみんな自分で自分の身の回りのことで精一杯なのが「普通」なのだと思う。「弱者、弱者というけれど、私だって弱者だ。一度しかない人生に制限かけられてたまるかよ」と思うのも当然かもしれない。
結局、救うってなんなんだろうとも思う。一時的に救ってもケアが生涯必要になるとしたら、救い続ける必要がある。労力を担う若者は減るのに救いを求める人は増えていく。それって本当の救いなのか。地球を守るためには人間は滅びてしまったほうがいいのだろうけど、身近な人は大切で守りたい。守りたい?守るってなんだろう。
各々が幸せを求めて生きる権利があるようなことを言いながらも、結局我慢を強いられる。折り合いをつけて、そこそこの幸せを大切にって意味なんだよね、本当は。
いまいちを最高くらいに感じないと幸せなど享受できるものではない。だけど、いまいちにすら近付けない人がいる。
思いをめぐらしつつ、ゆらゆらと暗雲へ歩を進めてゆく。