ハイキング初心者にお奨めのコース
不破関跡~柏原宿へ歩くのが楽チンコースです
私は、毎日同じところを歩くのは大の苦手なのですが、知らない歴史街道を歩くのは大好きなんです
2016.10.12
場所; 岐阜県不破郡関ケ原町松尾21-1~米原市柏原
JR東海道本線関ケ原駅より徒歩20分
名神関ケ原インターより車で5分
関ヶ原と言えば、関ヶ原の合戦が思い浮かぶが、歴史の流れはもっともっと深い。
不破関(ふわのせき)
古代東山道の関所の一つ。
壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置された。
壬申の乱
◆天智天皇の後継者争い。
大海人皇子と大友皇子がここで壮絶な戦いをして、最後大津の瀬田橋で大海人皇子が勝つ。
東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関(後には逢坂関)とともに三関と呼ばれる。三関から東は東国または関東と呼ばれた。
関所は江戸時代に出来たものと思っていました。
ここには全国で唯一奈良時代の関所跡が残っているのだ。
遠い遠い昔の重要な場所に立って、歴史の深さにのめりこんでしまいそうです。
不破関資料館から出発しよう。
なだらかな下りコースなので、ハイキングに不慣れな人の交じる多人数での歴史探索にはお奨めの場所です。
撮影禁止 館内観光客ゼロでした。
不破関は、奈良時代に設置された古代三関の一つです。
発掘調査により土器や瓦、和同開珎などが出土した。
矢尻の池
どれだ
これか
『金のみで人は動くにあらず』
大谷吉継は戦国の世にあって、まれに見る義人として知られます。
高札場跡
幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所。
関ケ原宿と今須宿の中間にあたり、休憩施設があったため、
間の宿(あいのしゅく)と呼ばれていた。
黒血川
壬申の乱、大友軍3万人と大海人軍3万人が戦った。
川が血で染まったという「黒血川」の由来も本当か
鶯の滝
ほんと
心癒されます
しばらく旧中山道を歩き脇道に少し入ると、常盤御前の墓がある。
常盤御前は、源義朝との間に今若丸・乙若丸・牛若丸(源義経)の3児に恵まれた。
義朝が平治の乱で敗れ、牛若丸の後を追い東国に向かうが、ここで土賊に襲われ命を落したといわれている。
芭蕉句碑と化月坊
今須峠
今須宿
妙應寺
曹洞宗のお寺です。
常夜灯
岐阜県⇔滋賀県
集落の外れにいくと、小さな川の両端に二本の石柱がある。
近江と美濃の境です。
その昔、近江国と美濃国の境である小さな川を隔てて、美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀屋」があった。
その旅籠の泊まり客が壁越しに聴こえる声から、同じ人物を慕う者同士と分かり、寝ながら語り合うことがでたことから「寝物語の里」と呼ばれるようになった。
誰もが想像したエッチな内容とは大きく違いました。
次は、不破の関跡~柏原宿後編です。