たまちゃん劇場ラブ

最後の
【なぜならそれはそうして育てられた想いを引きつぐことだからです。】

どんな時も自分を愛すること

自分をたいせつにすることは

今ここにじぶんがある事への感謝だとあうこと

ヒプノセラピーを受けて

さらにさらに感じました




先日セルフでない「ヒプノセラピー」を
受けさせてもらいました😊



自分の記録用としても書きたいと思います。

興味があれば読んで下さい🙏

しかも、魔法の教室たまちゃんに
出会ってから
ちゃーんと 地元にステキな
ヒプノセラピストさんがおられて
出逢うことができまして😊❤️

魔法の教室にであって
セルフヒプノをするようになり…

「やってもらいたい😊💕」って気持ちも
めっちゃ湧いてきて

やはり、亡くなった母のこと
覚えているようで、
どんどん忘れていっているようで

若くして、癌という病気でなくなってしまったのだから苦しみや悲しみを、めっちゃ抱えていたのでは?
いや、抱えていたに違いないと…

でも、わたしの感覚ではなぜかそれを
全然感じていなくて

ヒプノセラピーで感じることができるんじゃないか?

もし、そうならば
わたしにとって何か意味のある事や
ブロックがあるんじゃないか?
とずっと魔法の教室でたくさんのことを
知るようになり、余計にそう思っていました。

いざ、
終えてみると…

今日のたまちゃん劇場のそのまんま😳

母は
ずぅっと美容師として忙しくしていた人で

しかも、弟子入りした地元の、美容院では

下積み(昔はお手伝いさんのように家事や子守りの下積み)が当たり前だったようです。

それで、もっと技術を磨きたいと

半分夜逃げのように汽車に飛び乗り

隣の北陸まで職を求めて逃げた?と、

それで、数店舗で技術を習得し

なんと、20歳の頃には地元に戻り

自分の美容院を開店しました💦

その後父と出逢いわたしと妹を出産するわけですが、



賃貸の店舗兼自宅だったので

自分の家と、お店を建てる!と

お店だけ小さなものを…という父を

押し切りその頃では珍しい



コンクリートの、三階建てを建てました

この時母は 27歳 父は28歳…ビビりますよね普通

祖父母も周りも相当反対したようです

でも、建ててしまいました💦

時は昭和40年代後半

ベビーブームの花嫁さんがどんどん結婚した時代です。

母も毎週のように結婚式の付き添い着付けと
打ち合わせ…休みの日には
遠く東京まで着付けの講習に出かけておりました💦

なんとも忙しい人でした

その上、ソフトボールなど、
地域の同年代のお母さんたちと楽しみ
 病気が発症したのは
その朝練😳のとちゅうです。

夏休み最後のの日💦
しかも
父の誕生日🎂💦

に救急車で運ばれて行きました…

小さい妹は泣き叫び…

私はどう捉えて良いのか
ただ立ちすくんでいたように思います。

悲しいというより

どうなるんだろう?
今、どうしていたら、良いんだろう?

母が心配というより
何が起こってるのかよくわからない状況というのが
正解かな?

だって、ふつうに仕事して
ふつうに楽しく過ごしていたから…

インパクト残します

その日から四ヶ月弱で他界です…

今思えば

スキルス性の、胃癌ですきっと

その頃 本人にも周りにも
癌ということが悟られないようにする
のが主流だったのだと思います。

だって 私相当大人になるまで

母の死因は
【胃に穴が空いた】ことだと思ってました…

誰に聞かれてもそう答えていました

知ったのはなぜか妹と話していて
「胃に穴が空くって食べ物とかどうなるんやろ?」
というような話しをしてて
お母さんも……となった時
「は? お母さん胃癌って知らなんだの?」

😳ビックリです。
20歳を、すぎてもきづかなかった自分に驚きです

妹は高校生の時に聞いたというか
なんとなく理解したそうです。

…前置きがながくなりましたが

本題のヒプノセラピーは…


母のこと
一番に出てきたのは

母が
嫁ぐ前の若い方たちに向けて開催していた
「着付け教室」でした

毎週若いお姉さんたちが家に集まり

着付けをしながら 

母が結婚式についてや、

少し先輩としていろんなことを伝えていたり

たわいもない楽しい話をしたり…

皆さん

帰るときには皆さんとてもたのしそうだったこと

思い出しました

そんな方たちが

少し経つとお嫁さんに変身するのも

とても、楽しみでした

わたしはその着付け教室の

準備を母とするのがなんとも楽しみで

母も子どもとはいえ忙しい自分を手助けしてくれる

私を小さいけれど頼りにしてくれていたようです。

何故病気になったのか?

の問いには

「忙しくしてるうちにそうなっていた」と

死ぬ間際まで痛みどめで意識が朦朧とする中

帯を結ぶ練習なのか?実際結んでいたのか?

そんな仕草をしていたようです。

終えた後セラピストさんと

「魂は命の時間を知っていて短い時間でいろんなことをやりこなすために忙しい一生だったのかも」

と話し…なんとなく腑に落ちました。

母から私伝えたい事は?

の問いに

「満足のいく人生だったけれど 子どもたちが
それで寂しい思いをしていたならば、悲しい」
「あるがままの今という時間をそのままたいせつに、そうしてそのことを多くの人に伝えること」

子どもの頃に私が感じていたことは
「お母さんはいつも家に居たから嬉しかった、仕事をしているお母さんといるのが何より嬉しい」という
気持ちでした。

わたしから聞きたいことはの声に

聞いたのは

「何故?美容師に、ならなくていい、ならない方がいいと、いったの?」

ということでした。

あまり重要に、おもっていなかったけど

実は深く心に作用していたのですね…

何故、あんなに楽しそうで 懸命に
美容師という仕事を、していたのに…
やらなくていい、やらない方がいい?
って…

引っかかってたんですねわたし

そのことばを守り
美容師には少し考えたけれど
「お母さんが、やるなといったから」
と、ほぼ選択肢に、入れませんでした

母のこたえは
「自分は、満足して、やっていた
ただ、それを子どもに、そのまま押し付けるような
ことはしたくない。じぶんの好きなものを見つけて欲しい…」というような答えでした


これが
わたしのヒプノセラピー初体験です



なんとなく思い込んでいた?
思い込もうとしていたことが

違う母や幼い私の記憶を作っていて
本当は

早くに、命を終えたけど

与えられた時間の限り生き抜いて

幸せだった母と

短い間だけれど

近くで母から多くの愛情をもらい

たくさんの影響を受けた

小さな私がいることを

たくさん感じられたセラピーでした。

なんとなく忙しくしてなきゃとか、

感じていたけれど

じっくり、貰った命の時間を

丁寧に生きていこうと

改めて思います。



そんな、自分を慈しんで

育ててくれた、関わってくれた全ても

慈しむこと、


うちなる小さなわたしに、出会うことを

声を聴いて叶えどんどん豊かな未来に

近づいて行くこと


目の前の出来事を、

どう捉えるか?


たくさんの豊かなことを


知ることができたきっかけとなった、

【魔法の教室】ぜひお勧めします









少しでもほっとかないでママの、モヤモヤ♪♪♪

なんだか
うまく言えない、相談する機会がない

ちょっと、安心して聴いて貰いたいけど

誰にも話せていない

そんな方は

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