約2ヶ月前の誕生日の前々日。



母の透析の無い予定の無い日は、だいたい実家に
行き、お昼を食べさせてもらい、はるまさんの相手をしてもらいつつ、夜ご飯を作ってもらって持って帰るのが日課で、その日も行く気満々でした。



しかし、母から「熱があってしんどいので休ませてください。ご飯は作ります」とメール。



私も鬼じゃないので、ご飯作らんでいいよーとすぐさま電話。



電話口に出た母は、弱々しいホントにしんどそうな声…



それでもご飯は既に途中まで作ってるからとのこと。



夕方父が持ってきてくれました。



いつもより少し味の濃いロールキャベツ。金時豆の甘煮。鮭の塩焼き。でした。母にしては野菜が少ない。



気になったので連絡してみようかなーと思いつつも、しんどい時はメールも電話もたいぎいよね…と思いやめておきました。



翌日は、友達と遊ぶ約束をしてたので、朝からせっせとはるまさんの離乳食弁当を作ってました。




すると父から着信。




透析行く為に、家を出るはずの時間。こんな時間に何か嫌な予感がする…と思いながら、出ると、やっぱり…



「母さんがおかしんじゃ…呼んでも返事せんし…ちょっと来てくれや」と…


すぐさま、家を飛び出しました。



その日はあいにく車が無く、はるまさん抱っこで全速力で走って実家に向かいました。



不安で心配でたまらないけど、しかし不思議と大丈夫な気もして…


ようやく家にたどり着き、玄関まで行くと玄関に無理やり父に連れて来られた母の姿が…



顔はむくみ上げてパンパン。目はうつろ。けど、生きてる。よかったー。



ひとまず、「母さん❔」呼びかけると少しだけ反応があり頷く。




「ともみよ❔分かる❔」



抱っこしていたはるまを見つめるも無反応。




こりゃ、脳がいっとるわ…



父が「透析連れてかんといけんのに車に乗せれんけ、手伝ってくれや」と…


いやいや、この状態で普通に車に乗せて病院へ行こうとするのにビックリなんですけど…




呆れつつも「これどーみても脳梗塞じゃん…救急車電話して!」とお願いするものの父はパニックで、何も出来ない。



仕方が無いので私が電話し、透析の病院にも電話し、脳外科ないけど、透析してるからという事だけで、土谷病院へ搬送することになりました。




てか、脳梗塞とか時間との勝負だしいったいいつからこの状態なのか…



私は何もわからないまま救急車に電話して、救急車に乗って、救急隊員に色々聞かれて…




そして、父の頼りなさにビックリしました。




病院に着いてからも検査の間「ここで透析してもらってから帰れればいいね」とか呑気なこと言うし…



や、こんな状態で帰れるわけないでしょ!



命は大丈夫かもだけど、やっぱり脳だし、命に関わるかも…



そして大丈夫であっても半身不随とか、障害が残る可能性だって大いにあるし、ましてや全然分かってない状態で元に戻るなんて考えにくい。



しばらくして、父が呼ばれました。



結局、CT撮ってみたものの何も映ってないが、脳梗塞であろうとのこと。



取り敢えず、脳梗塞の点滴を投与しながら透析を受けてもらって、それからMRIを撮ってみるとのことになりました。



数時間後、透析を終えた母。



来た時よりも明らかに容体は悪化。



話しかけても無反応。



植物状態とまではいかないにしても、目だけ開いてるそんな状態でショックでした。



それからMRIを撮って先生から話があったもののやはり、脳梗塞の跡は見当たらない。けど、症状からして脳梗塞だと思うし、映らない箇所か、すっごく小さい血管が詰まっとるんかも…



左が特にだらんとなってるのと、言語を司る神経に麻痺があると思われる。とのことでした。



そんなこんなでその日は帰宅。




病院にいる間は毅然に振舞っていたけど、やっぱり帰ると号泣。寝られませんでした。




翌日。ドキドキしながら病院へ。




昨日より良くなってるか、欲は言わないので悪化してませんように…と思いながら病室へ。



すると思ってた以上。



話しかけると、反応が。誰かは分かってないけど、少しだけ体も動かせるし、ほんのちょっとだけ言葉も出るようになってた。



そして翌日。



昨日と同じ状態以下になってませんように…




恐る恐る病室へ入ると表情がある…




「母さん分かる❔」と問うとうん!と。



何があったん❔どーゆーこと❔と質問攻め。



脳梗塞で運ばれたと説明しても納得がいってないようで何回も同じ質問を繰り返されました。


伯父伯母も分かり、はるまもゆりちゃんも分かり、兄が俺分かる❔と問うと



不思議そうな顔。



「ひろちゃん❔」〔伯父の名前〕



伯母が意地悪で「しらんおじさんがおるねぇ」と言うと「うん!」と頷いてました。笑



痴呆の人レベルの回復で、変ではあったけど、午前中はみんなで楽しく会話することが出来ました。



午後から兄嫁が子供達を実家で見てくれるという事で、兄と2人で病院で付き添ってたところ、突然トイレを催したようで、モゾモゾ…



トイレ行きたいと…



けど、まだトイレに行くのは無理だろうし、オムツしてるし、そのまましていいよと言っても聞かず、看護師さんに尿瓶持ってきてもらってもうまく出来ず、オムツしとるけ、そのまましんちゃい!と兄とひたすら言い聞かせたものの、興奮し始め



「トイレに行かんと漏れるんじゃけ!トイレに行きたい!」と叫び、その途端痙攣のような発作が起き胸を押さえて突然苦しみ出しました。



筋肉は硬直し、明らかに普通じゃない。



すぐ看護師さんを呼び、心電図とか酸素計とかつけられてドラマとかで見る状態に。



血圧もかなり低いし、酸素も80を切っており、あーダメかも…



最期に会っとかないとと少しの間、家に帰っていた父を呼び、ひたすら心の中で祈ってました。



しばらくすると落ち着いたようで、しかし、朝のような意識はありませんでした。



弱々しい感じで辛うじて受け答えができる程度。



その日は、夜まで付き添ったけど、ずっと私の顔を見つめ、しんどそうにゼーゼー言いながら咳をしてました。



「しんどい❔」と聞くとうんと頷く。



夜になり「そろそろ帰るね!」と言うと返事をしない。



まだおった方がいい❔と聞くと、「うん…」とただただ私の顔を見つめる。




あー今日が最期だな…となんとなく覚悟しました。



けど、はるまをずっと預けてるから帰らない訳にもいかないし、私も生きてるお母さんの顔をしっかり目に焼きつけて、後ろ髪引かれながら帰宅しました。



帰ってからはもう気が気じゃなくて…いつ病院から電話がかかってくるかホントびくびくしながら過ごしました。




20時ごろ着信…




えーーーと思ったらかっちゃんの電話だった…





着信音が一緒だから紛らわしい。



もう疲れ切ってたから21時にはみんなで就寝。



寝かけていた時に、今度は私の電話に着信が…




画面を見ると父から…



「あ…ぁ…父さんからかかってきた…」




とうとう来たか…と思い、気を強く持って電話に出ると、




「おい!NHKで子育ての番組やりよるけ見てみいや」と…


は❔ふざけんな!笑



心臓が口から出そうなくらいバクバクになりながら電話に、出たんですが…笑



能天気すぎる父でした。



結局、死ぬことなく日に日に元に戻っていき、再度MRIと脳波の検査しても異常なし。



結局のところ原因は不明。




おそらく、脳がずーーーっと休まって無くて、体が限界に達したところで脳がシャットダウンを起こして錯乱状態になったのでしょう。。。




という事でした。笑




去年の年末から風邪を拗らせ、ずーーーっと何かと体調が悪く、入院前は、血尿、微熱、筋無力症の再発と病んでおり、口癖のように「もう長くない気がする…私が死んだら…」と死んだ後の事を色々頼まれてました。



しかし、退院後は「なんか憑き物が全部取れて元気になったー!生まれ変わった気がする!」と普通に戻りました。笑



やー、ホントなんだったのでしょう。



父も私も母を酷使しすぎてました。




父と私とはるまのせいでこうなってしまったのだから、気持ちを入れ替えて母に尽くそうと決意したのですが、父は1週間と持ちませんでした。




それを見たかっちゃんが、「お父さんホント酷いよね…1番の転機じゃん!ここで変わらんかったらいつ変わるん…」と呆れる始末。



そーゆー私も体調が悪化…頼らざるを得ない状況で…



けど、人生ってうまいこと出来てるなぁ…とつくづく思う日々です。




生きてるうちにしっかり親孝行しないとねー!