7月15日と28日のNHK・日曜美術館と、「美の巨人たち」が相次いで、小磯良平の『斉唱』を取り上げた。
 制作されたのは昭和16年、日本が戦争へと大きく舵を切った時代であった。
  この絵には、従軍画家として戦争に協力せざるを得なかった、小磯の平和への想いが籠められているという。


 それにしても何故、少女たちは同じ顔をしているのか、また九人が九人とも別々のあらぬ方向を向いて歌っているのか、と番組は問う。

 五線譜上の音符がばらばらであるように、三次元での絵画表現で四次元の音楽の律動を表す為の工夫であった、と番組は解説する。

 と云うよりも、絵の中央にあって誰をみると云うのでもなく、こちらをひたと見据えている少女に注目していただきたい。実際は、歌っているのは彼女ひとりだけで、残りの八人の像は記憶のストップモーションの映像に残された、折節の、その時々の、ありし日の、空虚になった講堂の片隅に残された彼女の残像ではないのだろうか。

 ここからは様々な空想が可能である。バラバラになった同級生の安否を気遣い、何時かまたこの場所で、この「斉唱」のように一同に会することを祈願したのだろうか。それとも、亡くなった中央の少女を偲んで同窓生の思いが目に見えぬ想いとなって集う霊的な時間、追憶の時間、傷痕と回顧と憧憬の時間、そのように想像すればより劇的になる。

 しかし、美しい感傷に浸っているのに申しわけないのだが、兵庫県姫路市市立美術館館長の山脇佐江子さんによれば、

”しかし最近、「小磯が必然的に群像を描くことになる戦争画に積極的に取り組んだ、その成果が『斉唱』なのではないか」とする説が唱えられている。 小磯の戦争画と「斉唱」は構図や描法がよく似ている。番組では、戦争記録画は大きなカンバスで群像表現に挑み、構図や写実を磨く絶好の機会であり、その修練の末に「斉唱」が誕生したことを検証。
30代後半という脂の乗った時期に戦争の時代を迎えた小磯。自らの芸術を追及するために戦争画をも利用した画家の執念。近代日本絵画史上の傑作「斉唱」誕生の秘密に迫る。”

 ということになる。
 画家の動機とは難しいものだ。厳密に言うと、絵自身が持つ動機と画家自身の動機も区別して考えなければならない。

 それに、「良心的」な画家ならば、必ず平和を願わなければならない、と云うものでもないだろう。戦時に於いては、日本の戦勝を願う事の方が自然だったのである。昭和16年の段階で、あたかも戦後の成り行きを先取りしていたかのようにふるまうことは自然でないだけでなく、反道徳的ですらある。

 とはいえ、私の想像を言えば、『斉唱』の少女たちが歌っているのは讃美歌である。何と言っても小磯の出身地は神戸であるのだから。しかし絵画自身が表現したものは、戦争画で修練された同質の、非個性的な群像美であったのかもしれない。それは小磯が戦争画への参画を通じて個人の信条としても画業としても軍政に対して批判的ではなかったと云う意味ではなく、やはり愛国への思いは籠められていたからである。