滋賀院門跡・慈眼堂[滋賀県大津市] | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

三井寺駅から京阪に乗り、終点の坂本比叡山口駅に向かいました。
琵琶湖疏水のすぐ横に三井寺があり、主人が「寄る?」と。
でも寄りはしませんでした。
以前坂本に行った時に主人が行きたいところがあったのだけど、時間が遅くなり寄りきれなかったので、この日は寄りたくて京阪の1日切符を買っていたからそちらに行かないと笑
既に15時を過ぎていて、坂本で行きたいところは16時受付終了だからちょっと急ぎ目で行かないとでしたあせる
 
坂本比叡山口駅到着!!
 
穴太衆の石垣にうっとりしつつ急ぎますあせる
 
寄りたかったお寺、滋賀院門跡に到着しました。
 
15:30に到着、拝観受付終了ぴったりで焦りましたが受付してもらえて良かったです。
 
庫裡
 
 
滋賀院門跡は元和元(1615)年、天海大僧正が京都北白川の法勝寺を移転したものといわれるそう。天台宗寺院で延暦寺の本坊(総里坊)、のち後水尾上皇から滋賀院の号を賜わりました。
江戸時代末まで天台座主(ざす)となった皇族代々の居所であったため高い格式を誇り、滋賀院門跡と呼ばれます。
約2万㎡という広大な境内には、内仏殿・宸殿・書院・庫裏・土蔵などが立ち並び、穴太衆積みの石積みと白壁を巡らせた門のほか、小堀遠州の作庭とされる国指定名勝庭園や狩野派の襖絵が鑑賞出来る名寺です。
 
羅漢の間(渡辺了慶作の襖絵)
 
二階書院
もっとも古い桜の襖絵は桃山時代のものだそう。
 
左:織田信長が寄進した大鏧子(けいす)
織田信長が本能寺で討たれた2年後に縁者が焼き討ちをかけた延暦寺に仏具を寄進し成仏を願ったものと推測されているそう
右:徳川10代将軍家治公寄進鏧子
家治は基金の回復と五穀豊穣を祈り、比叡山と日光山に祈願をしたが、この鏧子はその際に寄贈されたものだそう
 
長棒(ながぼう)
天台座主の乗り物
 

両界大曼荼羅と大日如来坐像

ドリタも特別展示中のものでした。

 
天台座主謁見の間(渡辺了慶作の障壁画)
 
里坊・老僧の間
お部屋自体は再現したものですが、実際の里坊で大僧正が使用していた道具だそう。
 
小堀遠州作庭園 国の名勝
徳川3代将軍家光公の命により、池泉鑑賞式に作庭されたもの。
 
鯉がいたので・・・
 
鯉のえさをあげたら一目散に集まって来たあせる
時間ギリギリだけど長閑な時間を過ごせました照れ

 
主人の御朱印↓
奥にある慈眼堂にも寄りました。
慶長12(1607)年から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の延暦寺の復興に尽力した天海の廟所です。
天海は徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与したことで知られ、姿を変えて生き残った明智光秀であるという説もある人なんですよね。
 
慈眼堂 重要文化財 正保3(1646)年建立
 
坂本比叡山口駅周辺は見所が多く、2度行きましたがまだまだ周りきれません。
また機会があったら行ってみたいと思います。
 
朝から大津市を巡った日でしたが、マンホールカードが再配布されたらまた行きたいですし、源氏物語の展示になっている三井寺もまた再訪したいな。