7月28日(金)は、あずきさん・あゆぞうさんと一緒に福井県の敦賀にお出掛けしました。
恒例となった誕生日のリクエストお出掛けで、今回私がリクエストしたお出掛け先でした
赤レンガ倉庫近くの旧敦賀港駅舎などを見学したりしました。
早めのランチは、私のリクエストで敦賀ヨーロッパ軒本店へ。
元祖ソースカツ丼の有名店である、ヨーロッパ軒からの暖簾分けのチェーン店です。
ヨーロッパ軒敦賀分店として暖簾分けで開店し、敦賀市内で店舗展開する際に敦賀ヨーロッパ軒となり、現在5店舗あるそう。
今回行った敦賀ヨーロッパ軒本店は、ヨーロッパ風?の建物が印象的な店舗でした。
お店の車のボディには、美味しそうなお写真が。
青空に映える現役の敦賀倉庫。
わかりにくいですが奥に急勾配の坂があり、この後バスで通りました。
みなとつるが山車(やま)会館
山車と書いて「だし」と読ませる場合もありますが、こちらは「やま」だそう。
氣比神宮例大祭で巡行する山車を展示している施設で、見学はせずに外観だけ。
建物前に建つ銅像は、敦賀の実業家・二代目大和田荘七氏。
大和田荘七氏によって創業された旧大和田銀行本店本館の建物は、重要文化財に指定されています。
大正14(1925)年に起工、昭和2(1927)年に竣工し、設計は京都の吉田・永瀬建築事務所、施工は清水組(現清水建設)京都支店。鉄骨レンガ造一部鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建の建物で、北陸初のエレベーターを備え、レストラン、迎賓館、集会場など、銀行でありながら公共性を兼ね備えた昭和初期の建物です。その後吸収合併により三和銀行敦賀支店に、その次に福井銀行の敦賀港支店として利用されていましたが、昭和52(1977)年に敦賀市に寄贈され、翌年には敦賀市立歴史民俗資料館となりました。
館内は有料ですが、入れるところを見学させていただきました。
人道の港敦賀ムゼウム
国際港として発展した敦賀港には、1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であり、当時の町民が温かく迎え入れた「人道の港」でした。
これらの歴史を後世に伝える資料館として平成20(2008)年にオープンしたそうです。
ムゼウムとはポーランド語で「資料館」という意味があるそう。
続きます
今日のパートは、7時からの開店業務担当で、その後11時までお仕事。
4時間だから気が楽ですが、意外にモーニングタイムが混むので、9時までワンオペだから慣れていても気分的に大変なんですよね。
今日のキッチンの子はこの春から入った子で、ホール担当だけど火曜日のモーニングだけキッチンをやってくれている大学生の子で。
色々興味を持ってやってくれる子なので、この子は辞めないで欲しいな~