加賀八家屋敷跡を巡って | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

こちらの記事で触れた、加賀八家(はっか)。

加賀藩直臣の最上級藩士は8人おり、加賀八家と呼ばれていました。

この記事では、加賀藩家臣で最高石高を有していた本多家の旧住宅長屋門を載せていました。

金沢市立玉川図書館の前や、中村記念美術館の横に加賀八家屋敷跡説明看板があり撮影していたのですが、他の六家のも撮影したいと思っていました。

そこで兼六園に行った日、購入していた金沢市内1日フリー乗車券を活用して撮影してきました。

先に書いておきますが、説明看板にはフィルムのようなものが掛けてあるので反射しボヤけていたり、また汚れていたりで、文字は読めない画像となっています。

説明は簡単にですが入力しますので、雰囲気を味わっていただけたらと思いますお願い

 

 

加賀八家は本多家、長家、横山家、前田家(長種系)、奥村家(宗家)、村井家、奥村家(支家)、前田家(直之系)の八家のこと。

貞享3(1686)年5代藩主綱紀が定めた1万石以上の家老で、世襲制となっていたそうです。

私は存じなくて残念なのですが、奥村宗家、奥村支家はともに、アニメ『花の慶次』で前田慶次の親友として出てくる奥村助右衛門を祖とする家柄だそうです。

 
前田家直之系(前田土佐守家) 11,000石
前田土佐守家は加賀藩祖前田利家の次男利政を家祖とする、藩主前田家の分家に当たります。
2月に記事にした、長町武家屋敷跡にある前田土佐守(とさのかみ)資料館はこの家系の資料館です。
邸は現高岡町にあったことが知られていて、延宝期(1673~81)の城下絵図によると約3,000坪(約9,900m²)の広さを有していたそうです。
現在はビジネス街から近い住宅街となっています。
 
金沢ふらっとバス長町ルート 玉川公園バス停・玉川図書館バス停・松ヶ枝緑地バス停
 
長家 33,000石
長家は加賀八家の中で東海地方と所縁のない唯一の家系で、能登国で生まれ育った後織田信長の配下に入り、その後前田利家に臣従したそうです。
邸は本拠地である能登田鶴浜と金沢城内の2箇所にありましたが、金沢邸はその後長町に移転し、約10,000坪(約33,000m²)の広さを有していたそうです。
現在は玉川公園となっています。
 
奥に写っている建物が、玉川図書館です。
 
図書館前に流れる鞍月用水では、ホタルが舞うと記事に書いていましたね~
 
金沢ふらっとバス長町ルート 玉川公園バス停・玉川図書館バス停・松ヶ枝緑地バス停
 
村井家 16,500石
村井家は尾張荒子の出で、古くから前田利家の侍臣となっていた家系だそうです。
邸は金沢城内にありましたが、城郭の拡張に伴い長町に移り、約5,000坪(約16,500m²)の広さを有していたそうです。
現在は金沢市立中央小学校になっています。
 
この看板だけ壁に埋め込まれていました。
金沢ふらっとバス長町ルート 中央小学校バス停
 
看板の向かいは、鞍月用水。
 
屋漏堂石碑
 
 
前田家(長種系) 18,000石
前田長種は尾張国の地侍として前田利家に仕えた武将で、利家の長女と結婚したそうです。
邸は4代孝貞まで小松城内にありましたが、寛永16(1639)年金沢に移り、約7,600坪(約25,100m²)の広さを有していたそうです。
現在は金沢城大手堀に近いビジネス街・マンション街となっています。
 
金沢ふらっとバス材木ルート 大手町バス停・大手掘バス停
 
本多家 50,000石 筆頭家老
本多家は徳川家康の重臣である本多正信の次男本多政重を初代とし、加賀藩の家臣で最高の石高を有していましたが、全国大名家臣の中でも最高禄高だったそうです。
前田家と徳川家の関係の円滑化に務めたそうで、邸は慶長17(1613)年頃には約10,000坪(約33,000m²)の広さを有していたそうです。
現在の本多の森、本多町と呼ばれるあたり一帯が本多家の所有地だったそうです。
 
金沢ふらっとバス菊川ルート 国立工芸館・国立美術館バス停
 
奥村家(宗家) 17,000石
奥村家(宗家)は尾張荒子城以来の前田家旧臣であった家柄だそうです。
邸は元和6(1620)頃今の兼六園の地に賜り、元禄9(1696)現下石引町に移り、約10,000坪(約33,000m²)の広さを有していたそうです。
明治以降は陸軍病院が置かれ、現在は国立金沢医療センターとなっています。
 
金沢ふらっとバス菊川ルート 飛梅町バス停
 
奥村家(支家) 12,000石

奥村家(⽀家)は奥村(宗家)の分家で、邸は当初⾦沢城内にありましたが城郭内の整備に伴い、現⼩将町に移り、約2,400坪(約8,000m²)の広さを有していたそうです。

現在は金沢市立小将町中学校となっています。

 
金沢ふらっとバス材木ルート 小将町バス停
 
枝垂れ桜が咲いていて、とってもきれいでした。
 
横山家 33,000石
横山家は美濃の出身で、前田家が幕府から謀反の疑いを掛けられた際幕府に対して弁明し、前田家存亡の危機を救った家臣だそうです。
邸は金沢城内にありましたが、元禄の終わり頃現横山町に移り、約5,500坪(約18,100m²)の広さを有していたそうです。
現在一帯は横山町と名付けられた住宅街となっています。
 
金沢ふらっとバス材木ルート 横山町バス停
 
今回の記事作成は、私的にはやっとと言うか、念願だった内容なんです。
やっと廻れたと感慨深い・・・。
なお今回巡った屋敷跡について、こちらの記事を参考にさせていただきました下矢印