神功皇后が行幸されたときに
和泉が湧き始めたのを瑞祥とされ
「和泉」の国名ができたという神社です
主祭神は
和泉大明神という独化天神(独り神)
天之御中主神・高産巣日神・神産巣日神と同じ神でしょうか
独り神とは夫婦をなさず一人で誕生する神です
神功皇后、仲哀天皇、応神天皇もお祀りされています
「和泉清水」は拝殿奥で
隙間からは見えず・・
本殿とよく似た
もうひとつの拝殿の奥にあるのは
「和泉五社総社本殿」で国の重要文化財
丹塗りの極彩色で、慶長十年(1605)豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。正面桁行三間、身舎側面二間、屋根が一間分前へ延びて庇をなす、三間社流造桧皮葺。 正面と両側面には縁を廻して組高欄を設ける。向拝位置は浜床を張って半高欄を置き、五級の階段にも宝珠柱の立つ登高欄を設けている。内部は内外陣境を三枚の両開き板戸で分かつ(HPより)
五社総社は
一宮:大鳥神社/天照大日霊貴尊
二宮:和泉穴師神社/天忍穂耳尊
三宮:聖神社/天瓊瓊杵尊
四宮:積川神社/彦火火出見尊
五宮:日根神社/鵜屋草葺不合尊
御諸別命・和泉国六二座
和泉国は河内国の管下にありましたが
霊亀2年(716)3月に和泉・日根2郡を割いて茅渟(珍努)宮に供し、4月さらに大鳥・和泉・日根3郡が、和泉監(げん)として分離。和泉監は天平12年(740)8月廃止、河内国に復したが、天平宝字1年(757)5月ふたたび和泉国として分立した(コトバンクより)
また和泉国府跡が
泉井上神社の近くにありました
国府跡は御舘山児童公園の中
すぐ近くには「小栗街道」が通っています
小栗街道というのは
摂津、和泉を経て熊野神社へ至る道で
浄瑠璃「小栗判官照手姫」の名を冠する古道
『蟻の熊野詣』ともいわれ
たくさんの人々が旅した道ですね