草津というと群馬県の草津が有名ですが
広島市内にも草津という場所があり
地名の由来が知りたいなぁと思っていたら

お散歩してわかったのです

軍港の軍津(いくさつ)が転じて草津(くさつ)になったようです

といっても
今の草津は広く埋め立てられ
江戸時代は西国街道が通る街として栄えたので、軍港のイメージは全くありません

まず行ったのは
西国街道から少し海よりにある住吉神社


住吉神社は海や川沿いにあるのが普通ですが、ここもそうだったようです

もともとこのあたりは草津漁港だったのが埋め立てられて公園が作られ、グランドの応援席?は雁木を利用したものだそうです


西国街道はこのあたりで
北の山手方向に伸びており


途中で大釣井と呼ばれる古い井戸あり---
海近くの井戸は貴重な水源だったことでしょう


少し歩くと幸福稲荷さん
14世紀に勧請されてから火災がなくなり、近隣の方々から崇敬を集めたようです


これはかつて大石餅を出すお茶屋が
このあたりにあったなごりの石です
「美味しい餅=おおいしもち」なんだそうです


このあたりで西国街道は
御幸川にかかる御幸橋を渡ります

なぜ地名に御幸?と思ったら
『置鳳輦止処』の碑がありました

明治17年明治天皇が西へ御幸される時にここを通過され、造り酒屋の小泉家にお立ち寄りになられたとか(後に昭憲皇后も宮島参拝の際に寄られた)


小泉家はこの碑の真向かいにあり、今でも厳島神社の御神酒を酒造しているそうです
大屋根の平屋で格子が美しい印象的な家です


奥にはお蔵が並んでいました


さらに西国街道を東にすすみ
ちょっとだけ裏道へはいると
大きな銀杏の木の下に幸神社(こうじんじゃ)さん

御祭神は猿田彦で導きの神様
社名は庚申(こうしん)から転じたものかと説明書がありました


ふたたび西国街道へ戻って
JR沿いにある鷺森神社に参拝しました

ここから山手の草津八幡宮へ向かいましたが、それは明日アップします(写真数制限のため)