それで、綾子は、「エマニエル夫人」を見に行った時のことを話し始めた。これは、健三が雄介に言ったことがあった。

 「彼女に嫌われたよ」

 そう言って、サークルのたまり場にやって来て、雄介だけになるのを見計らって、しょんぼりと言っていた。

 雄介は

 「そんなことないよ。大丈夫だよ。平気な顔して話かけてみろよ」

 と、何の確証もなかったが、励ましたのだった。

 改めて、当事者の一方だった綾子から話を聞いた。まったく同じ話だった。

 

 「で、健三には、当時、どんな気持ちだったの」

 30年以上前のことだから、単刀直入に聞ける。

 「いい先輩という気持ちだけだったわ」

 「それじゃ、健三が可哀そうだな」

 「そうかしら。健三さんは、私なんかよりもっとふさわしい人がいたはずだよ」

 雄介は、何も答えられなかった。健三の妻の初枝の顔を思い出した。確かに、初枝はよくできた妻だった。雄介も、健三が初枝と結婚してよかったと思っている。しかし、あれだけ恋い焦がれていた綾子と添い遂げさせてやりたいと当時は、真剣に思っていたのも事実だ。なかなかうまくいかないものだが、健三の件に関しては、

 「まあ、今の状況でよかったのかもしれないな」

 と考えることにした。

 「ところで、健三さんって、誰と結婚したの」

 綾子が尋ねてくる。

 「会社の後輩だよ。とてもよくできた人だよ」

 「そう。お子さんは?」

 「2人いるよ。男の子だよ」

 「そうなんですか」

 綾子は、まだ雄介との距離を決めかねているらしく、時々、敬語が出てくる。それを面白く思いながら、

 「君は、子供がほしかった?」

 と聞いてみた。

 「どちらでもよかったの。できたらできたでそれもいいし、できなければそれでいいと・・・。でも、夫のピエールが、とてもほしかったのよ。それで、子供ができないんだなあと私を責めるような感じで見てきたことが2-3度あって、それから夫婦関係もうまくいかなくなったの」

 「でも、そういうふうに見てきたというのは、思いすごしじゃないの」

 「絶対に違うわ。確証があるんです」

 「どういう確証?」

 「一度、彼の母親と電話している時に口に出して言ったのです。私が聞いていないと思ってね。彼女に原因があるんだと言ってたのです」

 「そうだったの」

 「それで、10年以上もたって、彼に原因があると分かって、離婚する決心をしたの。彼はその5年も前から知ったいたのよ。何のために私がこんなに悩んでいたのかと思ったら、ついにぷっつんしてしまったというわけ」

 雄介は、複雑な思いで聞いていた。