道代がリビングに戻った時、ちょうど兼山が風呂から上がったところだった。
「なんだ、誰か来たのか」
「和郎よ」
道代が冷たく言いはなった。
「いったい、こんな遅く何の用だったんだ。自宅に来るのは久しぶりだから、上げさせればよかったじゃないか」
「いいえ。『浅草で鰻を買ってきたので、オヤジに食べて貰ってください。玄関先で失礼します』と言って、置いて帰ったわよ。これがそのお土産」
「そうか。なんか話があったんじゃないのか。浅草のあのうまい店の鰻じゃないか。それ、一つよばれようかな」
「何言ってるのよ、こんなに遅く。また太るわよ。冷蔵庫に入れておくから、明日全部食べて」
「お前はいらないのか」
「私は、鰻は大嫌いよ」
「そうだったけかなあ。いくつかうまい鰻料理屋に連れて行ったけど、おいしい、おいしいと食べていたような気がするけどな」
「嫌いよ」
道代はそういって、心の中でこう続けた。
『和郎の持ってきた鰻はね』
いつから、大川のことを嫌うようになったのかは、道代自身も判然としない。ただ、ちょっと思い出すことがある。大川が、まだ道代の出自を知らない頃の話だ。なんかのことで、K国の話になった時、大川が道代と兼田がいる前で、
「まあ、あの国は昔から訳の分からないところですから。国民は可哀想ですが、自ら蒔いた種ですからね」
としゃべったときだ。まだ、後妻におさまってわずかの日数しかたっていなかったが、元来気の強い道代は
「ああそう。私の両親は、K国の出よ」
とぶちまけたい誘惑にかられた。しかし、ようやくのこと、思いとどまった。しかし、むらむらと復讐してやりたい熱い気持ちにかられた。その後、どうやら、大川が道代の出自を知ったらしいことが分かった。K国のことが話題になっても何も言わず、知らぬ顔をするようになったからだ。しかし、大川の顔には、道代をさげすむような様子が窺えると道代には思えた。
その後、兼田が自由独立党内での地位を固め、実力者になっていくにつれて、大川は道代のことを「奥方、奥方」と呼ぶようになり、道代もそのことは忘れていた。
しかし、大川も兼田や総理の川上の引きで、地位を上げていき、公式の発言でK国のことについてもしゃべっている内容が、新聞やテレビのニュースで知るようになった。これらの公式の発言ではソツがない受け答えをしているものの、道代には何かK国に対して、兼田や道代が期待しているほどの発言とは異なるように思えたのだった。
また、兼山の親しい記者が、同じ派閥である大川らのオフレコ懇談で出た話をメモにして会社に上げる内容を、そっくりコピーして兼山に渡してくれていたが、兼山はどの政治家の懇談内容のメモを渡してくれた。そこで出る大川の話は、道代の神経を逆なでするような話だった。
「あんな無法国家」「強盗国家」などという。その度に、道代は大川に裏切られたような気持ちを抱いた。
『山本や羽山なら、こんな言い方をしない』
実際、山本の懇談内容を書いたメモには、そういう類の話は見えなかった。ただ、淵田については
「毅然とした対応をしなければいけない」
などという表現が時折あり、淵田に対する道代の印象は悪くなっていたのだった。