やがて、兼山の家に戻ってきた大川は、インターフォンを鳴らした。お手伝いが出たので、
「大川です」
と伝えると、すぐ兼山の妻の道代に変わった。
「ああ、和ちゃん、どうしたのこんなに遅く。ちょっと待ってね」
お手伝いが出てきて、玄関に案内する。玄関に入ると、道代が腕組みをして立っていた。
「こんなに遅く申し訳ありません。ちょっと鰻を買ってきたので、オヤジさんに、明日にでも食べてもらおうと思って。オヤジさんは最近はようやく元気が出てきたようで、多少は安心していますが」
「充はもう寝ちゃったのよ」
と言ったきり、道代は、大川に上がれとも言わない。
「ああ、そうですか。さっき車が何台も止まっていたので、ちょっと一回りしてきたのですが、もう居なかったので、多分休まれたのかなとは思ったのですが、やはりそうですか」
「ああ、あの車ねえ。マスコミの兼山番の人たちよ。3時間くらい麻雀をしてたの。兼山は久しぶりの麻雀で楽しかったようだけど、その分、疲れたと言って、風呂に入って床についちゃったのよ」
「そうですか。分かりました。それじゃ、鰻を置いてきますので、オヤジさんによろしくお伝えください。さっき見かけたのは、山本と羽山のようにも見えましたが。それから宗田さんもいらしたようですね」
「なんで。顔を見たの。そんなことないわよ。毎朝新聞の磯田さん、テレビ極東の川村さん、それから毎朝の新人の西田とかいう記者よ。そういや三人とも、山本さんたちに似てるわね」
自由独立党の番記者はたいてい知っているが、聞いたこともない名前だった。
『このばあさんは、平気ですぐ分かるうそをつく』
大川は心の中で舌打ちした。
「そうですか。いずれにせよ、私は奥方に嫌われているようですね」
大川はそう言って、相手の目をじっと見た。
一瞬、沈黙が流れた。道代の顔がこわばっている、1秒、2秒、3秒と大川は、時間を数えていた。ようやく道代が
「あはは、何言っているのよ、和ちゃんは。そんなことあるわけないでしょ。まったく、何考えているの。酔っているでしょ」
と、取り繕った明るい声をわざと上げた。
「あはは、そうです、そうですよ。酔って奥方を困らせてやろうと思ったんですよ。失礼しました。それじゃ、今夜はこれで。オヤジによろしく言ってください」
「今度は早い時間に来て。鰻ありがとう。ここの鰻、高かったでしょう。ほんとにありがとね」
「じゃ、これで失礼します」
大川はドアをばたんと閉めた。道代は見送りにも出なかった。車に乗り込んだ大川は、
『あのばばあ、なめやがって。今にみてろよ』
と、腹の底から思った。険しい表情に、運転手は何も言わず、大川の自宅へと車を走らせるのだった。