100人の数よりも30人の強い意志。
30人の強い結束。
高校野球界にて強い存在感を放つ
智弁学園和歌山高校。
同校を30年以上指揮する高嶋仁監督の甲子園で勝つ為に出した結論。
…1985年 甲子園初出場
期待と希望を胸に望んだ甲子園であったが、1回戦敗退。
その後甲子園へ出場するも、4大会連続の初戦敗退…。
ベンチで泣き崩れる選手達を見ながら、悩み、苦しみ、出した結論は…
1学年10人制…
30人の少数制であった。
常時100人を超える部員数を抱えていた智弁和歌山高校。
高嶋監督の決断に異論は集中する。
しかし、その後3回の甲子園優勝。
歴代監督甲子園勝利数では、中村順司監督(PL学園)の持つ58勝を塗り替える。
誤解無きように書きますが、1学年10人のうち県外からの野球留学生は2人と限定されており、8割の選手は和歌山県出身である。
『高校野球は地域と共存するもの、地域に応援して頂ける野球部でありたい』
高嶋監督は語ります。
30人に限定された選手。
質・量・心ともに厳しい練習を強いられます。
時に理解するまで、練習を止めてコンコンと諭し、時に怒鳴りつける。
『褒めて、その気にさせて動かす。
そういうやり方もあるでしょうが、褒められ続けた子は絶対に伸びません。
怒られて怒鳴られて、諭された選手が逆境をチャンスにします。
起死回生の活躍をするんです』
そう言い切る高嶋監督も週2回、高野山の20キロの山道を4時間かけて歩きます。
選手に求む鍛練の道。
自らにも課す。
そして問う。
指導は、正しいのか…。
常に悩み、考え続ける。
豊富な部員数、多数の野球留学生を受け入れる私学…。
その位置から異なる観点にて強豪高校へと成長させた高嶋監督の哲学。
30人の部員達は口を揃えて言います。
『下手くそでも努力してあの天国に行くんです。甲子園に行くんです。』
少数心鋭の智弁和歌山高校。
率いるのは「心」の指導者。
強いはずです。
※1学年10人制 もう一つの理由
高校卒業後も、先の面倒を見てあげられるからだそうです。
監督自らが、大学に頼みに行く事もあるそうです。
『10人であれば、野球を続けさせてあげられるんです』
選手想いの監督は、笑いながら言います。
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