昨年の8月10日
俳優の渡哲也さんが亡くなった。
とのことを、知ったのはその日よりもっと
あとのこと。
知った瞬間は、えっ!?て声が出て
そのまましばらく固まってしまいました。
私の父が、日活映画や
渡さん、石原裕次郎さん、高倉健さんなど
昭和の大スターさん方が好きで
その方々の映画やドラマをよく観ていた
影響で、私も小さい頃からよく観て知って
ました。
太陽にほえろ!、大都会、西部警察などの
ドラマもリアルタイムで観てました。
なので、中学の頃は周りがトシちゃんや
マッチ、ジャニーズ、当時人気の
学園ドラマのイケメンとかって騒いでた頃、
私だけはその前からずっと
石原軍団♥渡さん♥でした
あの刑事ドラマ「西部警察」が始まって
当時よくあった、雑誌の後ろの方の読者
コーナーで、
西部警察の"私設ファンクラブお仲間募集"
みたいなので知り合った千葉の女性と、
私が16歳の時、
渡さんに会いたくて名古屋から東京へ
日活の撮影所へ行きました。
今だときっといろいろ厳しいのだと
思いますが、30年以上も前の当時はファン
でも普通に撮影所に入れました。
その日は私と一緒に名古屋から来たファン
友達2人と、その千葉の女性の4人。
他のファンはほとんどいませんでした。
甘い物お好きな石原軍団の方々にと。
この時に、名古屋から買ってきた"赤福餅"を
渡しました。
その後、渡さんはこの前のバスに
それからは、見かけた他の数人の俳優さん
方と一緒に写真を撮って頂いたりして
しばらくすると、渡さんはロケに行くようで
どう追っかけたかは覚えてないけど
バスを追っかけて多摩川のロケ地に。
川の中でのシーン、撮影風景を見てました。
(手前を歩いておられるのが渡さん)
終わったあと、川から上がってきた渡さんに
声をかけました(なんと言ったか覚えてませんが
多分写真をお願いしたと思います)
渡さん、濡れてるから、とかってスタッフの
方から止めが入った記憶。
でも、渡さんは応じてくれて、こうして
ツーショットで撮らせて下さいました
⬇
その後、ここから道路までの距離を一緒に
横に並んで歩きます
話したことで、覚えていることは
大ファンだと伝えた時に、渡さんが
「僕なんて君たちのお父さんくらいで
しょう」なんておっしゃって、
うちの父は38ですと言ったら
「若いね~」と。
あとは赤福餅のことを
「美味しく戴きました」と言ってくれて
そして最後には
「気をつけて帰って下さい」と言ってくれ
ました。
まぁまあの距離があったので、まぁまぁ
時間もあったはず。
他にも何か話したと思うのですが、
とにかく舞い上がってて
なので
今でもはっきり覚えてる会話はこのくらい。
その時に、1番印象的で感激したことは、
昭和の大スターでこんな大物俳優さんが
見知らぬ10代の小娘相手に、
終始ずっと敬語で話して下さったこと。
それは本当に忘れられないことです。
友達は舘ひろしさんのファンなので、
別で来ていた舘さんにも赤福餅を渡して
おりました 笑
こんな近くで大スターさん達と会えたこと。
時代が良かったのか、運が良かったのか。
でも、私はこの日のことは
それまでいろんなことに辛抱してきた私に
神様がくれたご褒美なのかな、
って思ってます
数分の出来事ですが
ほんとに、夢のような1日でした
渡さんには、会いに行く前から、
ファンレター、お手紙を何度も書いて出して
いたのですが、
この翌年からでしたか
こうして年賀状まで頂きました。