昨日の続きです。



乳腺専門の病院へ行くことになってからの
こと…




紹介された乳腺専門の病院へ行きました。

まずは採血、そのあとマンモグラフィー
です。
初めてのマンモグラフィーは
聞いてたより痛くありませんでした。




その後にエコー。

やっぱりしこりがあるとのことで、細胞診。
しこりの中の1部を採ります。




喉の甲状腺の腫瘍の時の細胞診は
注射器で採られましたが、
今回は初めて見る、小さい容器に注射器の
ようなドリルのようなのがついてるやつ汗




寝転んでいたのでよく見えませんでしたが
まー、痛いどころではない、ハンパなく
痛かったです 笑い泣き




その日はそれで終わり



ちょうど1週間後に検査結果が。



検査も結果を聞きにも1人で行きました。




結果を聞きに行った時、呼ばれて診察室に
入ると、検査の時とは違う先生。





時々新聞の質問コーナーに載っている
この病院の院長先生でした。





こうゆう検査の結果はドラマのように
「悪性でした」とか「ガンです」とか
言われるのかな、と思ってましたが





「先日の検査の結果ですが…」と言うと
黙ったまま、私の前にすっと紙を差し出し
ました。





その紙には顕微鏡で細胞を見たような
よく分からない写真と




その下に”悪性”、○○~、、
その2文字以外はよく覚えていませんが
悪性でしたみたいな内容だったと思います。





その瞬間は本当に驚きも何の思いもなく
ただ「 … 」無でした。





その後すぐに先生が別の用紙を出して
「あなたの今の状態ですが…」と説明を
始めました。





腫瘍が何センチだとステージいくつとか、
ガンについての説明が書いてある紙。




ステージと、もうひとつ何かありましたが
覚えてません。




しこりの大きさは1cmなかった
初期のステージ1。
もうひとつの何かも1番良いものでした。




うちの病院はここまでなので、この後は
うちではこちらの病院を紹介してるのです
が、とPCでその病院を教えてくれましたが
うちからはかなり遠い汗




ガンになったりしたら
普通の人はガンセンターとか、最先端の
ガン治療をしてる所とか、専門の有名な先生
のいる病院だとか、きっといろいろ考えて
選ぶのだと思います。





私はその時、娘たちのことしか考えて
いませんでした。
当時は長女が高校を卒業、次女は中学を
卒業を終えた3月。





これからずっと通うことになる。
入院して、遠ければ娘たちが来るのも大変
とにかく近い所じゃないと!
と、それしか頭になくて…




うちの近くの○○病院ではダメですか?
と聞いてみました。




すると「○○病院?」と
PCで調べてくれて
「ああ、ここ乳腺外科ありますね!
ご存知の先生はいますか?」と聞かれました
が、近いだけで行ったことない病院。



「誰も知りません。」と伝えると
「ではこちらの先生にお願いしましょう。
紹介状とデータを用意しておきますので
また取りに来て下さい」と。




そして、この言葉は忘れもしない
「頑張って来て下さいね」


そう先生に言われた
途端に、急にボロボロっと涙が出てきました。




それから恐怖がきて
帰り道も運転しながらずっと泣いていました。



ゴールド免許だった私が
一時停止で捕まったのはこの日です。




帰ると、娘は2人とも卒業して休みだった
ので家にいました。




2人には前々から、私の胸の固まりを
しこりじゃない?大丈夫かな?骨だよ!
なんて話していたので
私が病院へ行ったことも知っています。




病院から帰って、娘たちに
「どうだった?」と聞かれ、2人の顔を見たら
ボロボロ涙が出てきて、大泣きしながら
「ガンだった」と答えました。




2人とも驚いてポロポロ涙を流してました。
長女は無言でしたが、次女は
「取っちゃえば大丈夫なんでしょ?」と
涙を流しながらも明るく言っていたのを
覚えています。




それからはもう”死”が頭の中にずっとあって
いつもどうりに毎日の生活をしながらも
何気に自分の物を整理したり、遺書を
書いたり、娘たちへと料理のレシピを書き
残したり…



密かに終活を…



そんな思いの中で
ガン宣告から1週間程で、長女の専門学校と
次女の高校と2人の入学式へ



一緒に式に行き、写真を撮ったりしながら
も、頭の中では
3年後、卒業式には出れるのかな?
…なんて思っていました。




ガン宣告の日からちょうど1週間後に
紹介状とデータをもらいに行き、
その2日後には○○病院へ行くことに
なります。




続く…