羽生結弦選手SP Let Me Entertain You について、

歌詞の You're my rock of 〜、「全人類見て!」レベルでカッコよく足元で歌っていると思います!

というお話をしているところなのですが・・・

 

足元で歌う様子が大好きだと言いながら、解読がかなり間違っている気がします・・・

もっと勉強して演技を見直してから、前回の続きを書きますね。

 

 

 

今回は、情緒的な方向に振り切ったことを書きます・・・

 

 

「このプログラム、要素などを決めた後に、『今の動きどうだった?』と問い掛けんばかりに、フワッとした動きや表情になるなあ」ということを、以前、何度か記したことがあります。

 

「同じ歌詞を、滑りで歌い分けているように見える」「歌詞を受けて、次の行動を考えて滑っているかのようだ」ということも、前に書いたのですが・・・

 

作品全体を貫くそのような様子が、何かを思い起こさせると思いました。

 

あっ、これ、幼い子どもが言葉を覚えていく風景に似ているかも?

言語そのものだけではなくて、ふとした表情であるいは全身の動きで、人と人とが伝え合うことが出来ると知っていく過程だ・・・などと思いました。

 

いや、子どもだけじゃないかな?

大人だって、誰かと知り合っていく時は、こんな感じかも。

旧知の間柄でも、「あっ、こんな言い方をすると喜ばれるんだ」という発見があったりするなあ・・・

 

そもそも、大人だって、昔は子どもだったのでした。

誰もがみんな、試行錯誤しながらコミュニケーションの喜びを知ってきたわけです。

 

 

羽生選手の演技から、そんなことを思いました。

 

そして、「近頃、伝え合う内容も方法もすっかり変わってしまったけれど、伝え合うことの本質や喜びを思い出して」と、穏やかに言われた気がしました。

 

 

 

どこか温かみを感じさせる羽生選手の演技から、

「ロックが既成の物事への反骨精神や世の中に風穴を開けることならば、尖った世の中に対して物申す時に、尖ったやり方ではいけない・・・ということ?」

と感じたことも、以前記したのですが・・・

 

この優しいロックスターは、私の心に風穴を開けてくれました。

 

今の世の中に適応しなければならないことと、人間らしいコミュニケーションを捨てたり諦めたりすることとは違う・・・と言われた気がしました。