祖母、母、私の3人暮らし
一人っ子育ちのせいか、一つの事が気になったら、とことん考えたりする。
考え過ぎて…今思えばほぼその結論が出た試しが無かった気もする。祖母も母も働いていたので学校が休みの日は友達にも会えない。 
その時代、一人っ子は珍しかった。母子家庭も珍しかった。どうして私だけが違うのだろう?と面白くなかったが家には犬がいた。家の中で犬を飼ってるのも珍しかった時代だ。
おそらく私の育った環境は当時珍しかったと思う。珍しいと言う響きは違うかな…ご近所さんからしてみれば、違和感を感じずにいられない家庭だった思う。
昨日のブログでもはなしたが、一緒に暮らしていた父だと思っていた人と母のケンカでパトカーは来るわ、学校は不登校気味になるわで、同級生だけでなく学区レベルで、大人たちからしてみれば付き合いたくないレベルの家庭だったと思う。実際、学校帰り、みんなで友達の家に行くと
「アンタあんまりウチの子と遊ばんといてな」
と言われた事がある。意味がわからなかったが、子供心ながら
「なんで?」とは聞けず、黙って下を向く。何かわからない事を、子供ながら我慢していた。
勿論それが初めてでない、何回か遊びに行って友達の親から言われた。友達本人からも「お母さんが○○ちゃんと遊んだらあかんって言うたから、もう遊べへんねん」とも言われた事もある。
子供とは怖いものだ、何を言い出すかわからない…そんな事言って私がどれだけ傷つくなどわからないし仕方ないといえば仕方ない。
それでも激しく…子供心に傷ついていた。

日曜日は祖母も母も居ない
淋しいけどそんな事を何年と繰り返せば、一人でも楽しむようになっていたのだと思う。
子供の頃、何か気になったらそれにスポットを当て、色々考えたりする事が楽しかった。
ん?楽しかったかなぁ。。。
それしかなかったというのが正解だろう。
しかし子供なので、色々考えたって結論を出すのは難しい事もあり、最初出ていた結論も次第に出にくい物事にまでスポットを当ててしまうようになり、出ず終いの事が増えていってた。
もしかしたら…それが、私の欠点なのかもしれない。普通の人なら体験しない事、気づかない事を子供の頃から多く経験し、その上で考え込む癖がついた。
もう一つそれと平行して、過程が楽しければ、先はどうでもいい…というようなところがある。

15歳の初夏に義理の兄が登場し、実の父親と会った。嬉しかった。
同じ学校で唯一母子家庭だった友達の家に遊びに行った時、その話を友達の親に話すと
「えー今更。今までほったらかしにしておいて何のつもり?」と言われた。これは、今でも不思議なのだが、実の父親が15年ぶりに私に会いに来てくれた
というと、良かったね、凄い!と笑顔で言う人と
今更なんのつもり?と、不快な顔して言う人とで別れる。
ちなみに、2年と2日前に亡くなった最愛の彼に、実の父親の話をした時
怒り口調で「最低な父親やな」 と言った。それは怒ってるのに、何処かわびしく…悲しい表情にも見えた。

実の父親に会ってから私の生活は少し変わった。
父親の居ない私から、父親がいる!私に変わった。
だけど、父親には新しい家庭がある。
父は前妻との間に出来た兄を連れて二度目の再婚をしている。一度目は私の母で、母は父と離婚した際、私を連れ
父は兄を連れまた再婚しているからだ。
そして、母と父の違いは
父は、新しい家庭で子供をつくった。
ちなみに、ここで兄、私、その後再婚して新たに子供と、母親は皆違うが、父の子供は3人いる。

父の再婚相手の子供は男の子で、私の弟にあたるが、父の家族とはその弟と兄、父と奥さんの四人暮らしだ。
私が父に会うまでの15年間も相当、ややこしい と言うやつだろけど、ここからもまた本人、家族でない限り、ややこしいかと思う。
他人の話は面白いものもあるが、そう執着して聞いてないから、あまりにややこしいと飽きてきてそこから外れたくなるのが普通だと思う。
が、私は続けさせてもらう。

初めて会ってからひと月も経たないある日
父から電話があった、私は学校に行っていて
電話に出たのは母で
お父さんが、週末またお前に会いにいくわと言ってた と報告してくれた。父とまた会えることが嬉しくて嬉しくて。
だけど、一緒に暮らしていた祖母はあまりいい顔をしてなかった。気になった私は祖母に
「おばぁちゃんはお父さんが嫌いなん?せっかく来てくれたのに、おばぁちゃんのそんな顔みたらお父さんが来てくれなくなる」と、これまた子供とは残酷だ
母はちいちゃいまだ赤ちゃんの私を連れ実家に離婚して帰ってきて、祖母だけの収入では暮らしていけないにしても、夜働きだし、男をつくって家まで連れ込み何年と住み、酔っ払っては夫婦喧嘩の日々を送り、一緒にいた私と祖母はどれほど振り回され怯える毎日を過ごしてきたことか…それでも祖母は仕事に行き、ほぼ私の為だけに朝晩、ご飯の支度、中学になっては毎朝お弁当を作ってくれた。母がお弁当を、作った事は一度もない。
話はズレてしまったが、父の電話に、祖母がいい顔をしなく、それを責めるような事を言った私の後に祖母は独り言のように言った言葉は、案の定
「今更…今まで何もせんかったくせに」
今なら理解できるけど、当時の私は…わからなくもないが…反論した。

祖母からしてみれば、複雑ではあるけどやはりいい顔は出来ない。
私からしてみればも同じく、複雑ではあるけどそこは曲げられない。やっと父と会えたのだから。

子供の頃から「複雑」は身近にあった。
ひとりの時間の過ごし方は、考え込むこと。
次第に、普通なら相当複雑で考え込んでしまう事も、ある程度の事なら考えることなく、肌でわかってしまうようになった。
いろんな空気を、肌で感じられてしまう子供に育っていったんだと思う。