【私の普通という価値は、どこから・・・】

 

 

私の育った家は、父が公務員 

母が着付けの先生 & 市役所の臨時職員をし

家では、そろばん塾をやっていました

 

一般には、何が普通か分からないけど

私の中では、これが普通のザ★昭和の家庭

 

夏休みには、家族旅行をして

日曜日には、両親ともに趣味にいそしみ

時々外食をしてお誕生日やクリスマスに力を注ぎ

子どもは、いくつかの習い事する

 

特に貧乏だとか?金持ちだとかを考えなくて

いいくらいの生活でした
※考えなくていい・・あたりが

私の中の豊かさや安定の原点だと今思います。
 

 

家は、そんなに大きくないけど一軒家で

庭には、池があり鯉がいたり

家の中にも水槽があり父が休みの時に水の入れ替えを

大騒ぎでしていたのを思い出します

 

母は、しつけの一環なのか

世間体が大事なのかわからないけれど

とてもコミュニケーションを大事にする人でした

 

【挨拶】や【女の子なんだから】が厳しくて

 

「由加ちゃん、とにかく目が合って知ってる!って思ったら

挨拶をしなさい、先にした方が勝ちです」

 

っていつも言っていました。

※これは今でもそうで、、、本当に挨拶しておいて

しばらくして誰だっけ??ってなる事が多いです。スミマセン

 

 

(^O^)/お陰様で私は、近所でも有名な快活なお嬢さんでした

その有名・・が食わせもんです

 

「あぁ~近所に良い感じにしてると母の耳に入り

母は喜び、私は褒められるんだ」と インプットされまして(笑)

 

対外的な事が得意な嫌な感じの子どもだったと思います

 

ハハハ

 

電話でもしっかりメモを取っているとか

大きな声で挨拶するとか

近所のスーパーで母を手伝って買い物するとか

お豆腐屋さんが来たら鍋持って走って買いに行くとか

みんなに分かりやすい感じのいい子でした!(笑)

そしてそれが自分にとっての生きやすさでした!

 

→ あっ・・そっか

これも自分の受け取り方で

【大人の目を気にしてた可哀想な私にもなれるんだ】

 

 

そうだなぁ

両親の間には、子どもには分からない

色々だってあったと思うけど両親の喧嘩を見た事もなく

とても平和な感じの家でした

 

家では、なんでも優遇されていた父

母は、いつも父を一番にしていました。

 

・TVのチャンネル権(父はTVが大好き)
・父が家に帰ってくる前にリビングは片付ける

「そろそろパパ帰ってくるから机の上片付けなさい」って

よく言われた

・何か非日常の決めごとは、全部父に報告する

「パパに聞いてから」が母の口癖
・外食も父の食べたいものを聞いてから決めてたっけ。

そのお陰で、会社で上司に反発しないのも
そこの我慢がぜんぜん苦でなく仕事が出来るのも
「有難い」って気持ちがどこかにあるんだよねぇ。
 

 

長男の兄は、私から見ても自慢の兄で

両親の期待もいっぱい担ってたと思います

私は、「女の子だから」的なザ★昭和な家庭のしつけで

家庭で大事な事は、教えて貰ってたと思う。
手芸・花のいけ方・料理・お皿の洗い方・アイロンのかけ方
掃除の仕方等・・(なるほど教えて貰ってたのか・・)

 

将来の夢は「花嫁さん」だったしねー。

20歳前半で結婚し子どもは、山ほど欲しくて

チームを組める位(なんの?)産もうと思ってたなぁ。
チームは組めないけど

 

・・・そっか夢は叶ってたんだ。

 

 

急に女性が市民権を得られる頃が

私の高校生の頃で女性の喫煙や飲酒、OLとか

ハウスマヌカンとか【自由】な感じがいっきにどわぁーーと

入ってきた頃です。

今だと え?って思うほど

当時女性が4年生の大学に行く?って
どんだけ頭のいい子なんだ!!って感じでしたよ

短大やドレメや花嫁修業的な学校も多くてね
専門学校的なものが一般的になったのもその辺りなのかなぁ

高校卒業したら結構な数の女性は一般事務職で就職をしていました。
※銀行とか高卒で綺麗な女子を窓口に!って感じでした!


その自由さ真っただ中のバブル時代に

私は、自由な兄の影響も頂きまして
アルバイトしまくり、原宿行まくり、新宿で踊りまくり

眉毛太目、唇赤く、肩幅広めで遊んでたなぁ・・・・(遠い目)


なのにどういう訳か夢のように、20代前半で結婚し、

出産し3人の子どもを授かり、公務員家庭の核家族で

育った私が自営の跡継ぎの嫁になったのも

あの時の人生の岐路での判断は、

 

・・・・今思うと

 

両親を見て育ち

私もそういう家庭を持ち

子どもを産み育て・・・的な事が私の歩む道と

思ってたんだと思う

 

演劇でもチャンスが来るとしり込みをしたし

恋愛でもどこか結婚を意識してた

20代前半で決める!

それが女性の幸せの道筋だって思ってたんだね

 

 

55になった私が

後どれくらい生きられるかも分からないけど

もうさ・・四の五の言っていつまでも

自分を探してる場合じゃないんだよねぇ

 

主体的に自分を生きる!

自分が自分に恥ずかしくないように生ききる

もう、それしかないなぁ

人の評価を意識してた頃から

自分を選択してもいい今に出来た事は自分に◎です。

 

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今週末は、第三土曜日、私が世話役をさせて頂いている

CC研究会では、
「ゲシュタルトセラピー」江夏亮さんをお迎えして

学びます!

研究会は、営利が目的でないので
年会費3000円・月参加費500円 飛び込みゲスト1000円で
13:00~17:00まで老若男女混ざり合って学びます

毎月のその研究会も18年間続いています

継続は力なり~・・本当にそう思います!!!

 

 

18年前参加した当時の私は、離婚したてで 
これからの生き方に不安がいっぱいでした。

その研究会で専業主婦歴15年の私が

その当時の社会の仕組みを学び、自分の市場価値を知り

どういう勉強を重ねたら自立して食べて行けるかも

そこで学んだような気がします。

 

 

私の思う【普通】は、両親や家族から頂いた見本をもとに

自分らしい形に変化をしています。

 

それでも両親が見せ続けてくれた

どこの誰にも批判されない夫婦のカタチを

やっぱり羨ましいと思うし、

人の目より自分の心を優先し離婚した私には

生涯得られない「その先の夫婦」を今見せて頂いている感じです。

 

 

いっぱい反発してたけど55歳になって振り返れば

私の奥に「夫婦の理想の形」は両親だし

家庭は、家族はこうあるべきという物も 

私の生まれ育ったものだなぁ~って思います

 

ぜんぜん同じには出来なかったけど

子どもの自立を一番に考えている所とか

 

父がいつも言ってくれた

「由加が決めたんだろ?それでいい」って

言ってくれた事

私ね、、自分の子どもたちにも言います。

 

 

対外的な事が得意で

褒められるポイントが先にわかる事

社会に出てとても役に立っていると思います

 

人は、自分の主観から離れる事は

出来なけれど母がいつも

 

「相手の立場になって考えて行動しなさい」って

言い続けてくれた事も

 

私は、こうだけど

「あなただったらどうだろう」って視点を

私に伝えてくれていたから行動出来る事も

いっぱいあります。

 

私に・・私がいっぱいあるように

あなたにも・・あなたがいっぱいあるんだね。

 

すり合わせる事は【愛】だって思うけど

すり合わせなくても【愛】はある

 

 

 

母が私の為に私が将来
自分の主観だけで苦しまないように
判断の1つとして伝えてくれてた「母の普通」

 

いつかそこを見ながら「自分の普通」を

持てるようになってきていました。

 

 

まさに

【親の意見と冷酒はあとで利く】

 

こういうことか。

 

 

 

 

 

 

明日行くからね。

 

 

利く~~~~~!