昭和9年 西暦1934年生まれ 
今年85歳になる私の両親は 

私の生まれ育った三鷹の一軒家で 二人で暮らしています

 

週に何度か電話で話し 2週間に1度~2度

ほんの少しでも顔を見に行く感じ

 

兄や義姉や甥っ子と逢えるのも

年に1度あるかないか

 

両親の親との関係なのか

あまり親戚がベタベタしてないのも

核家族だった我が家の特徴かもしれないなぁ。

 

 

兄も私も親からの自立が早かったのもある

祖父母のお葬式には参加したけど

叔父叔母のお葬式には母から連絡も来ない。

だって・・・もう顔も忘れちゃったよ。

 


85歳の両親は 
きっともう色々を十分に覚悟をしている

 

「もう年だから 同じこと何度も言っちゃうんだよ」

 

と 父

 

 

お母さんが何度も同じこと言うよねって思ってたら

お父さんも逢う度に私の年をね

また、何度も何度も聞くもんで

 

「お父さん 私は55才になりましたよ~」って

今、初めて聞いたように答えるのも上手になった

 


母子家庭で育てた私の子ども(孫)の事も

気にしてくれている

 

 

森里は元気?お仕事頑張ってる?

光月は北海道で結婚したね?身体元気?

天未は調布に住んでるんだっけ?結婚しないの?

 

「元気だよ 森里は私と一緒に暮らしてるよ」

「光月は今年赤ちゃん生まれるよ」

「天未は昨日もうちに来たよ」

 

 

一個一個答える

一回一回 ニコニコしてくれる

 

 

 

そして父がね

「で・・由加は何歳になったんだ?」(笑)

 

私がね

「なんかもう~ 55歳だよ」

 

二人で 「若いわねぇ~」って言ってくれる。

 

 

それだけの事なのにね

両親に逢う時は どこか心臓の奥がいつもね

ハラハラしちゃうんだよ

 

 

冷静に考えたら85歳だよ

元気なうちに一緒に住もうかなあ。

そう思うだけで 涙が出る

 

元気なうちにってなんだよ

元気じゃなくなるみたいじゃん。

 

お父さんも お母さんも

いなくなったら 嫌だなぁ

見えなくなったら 悲しいなぁ

 

悲しい。

 

 

帰りがけ 

母はいつもバス停まで送りたがるんだ

最近は断ってしまう自分がいる

 

 

腰もいたくてさ

膝もいたくてさ

ヨロヨロしながら玄関までくるから

 

 「ここでいいから!またね」

 

そう言って振り切るように

バス停に向かう私

 

後ろからずっと覗いて見てるの知ってる

だけど もう振り向けない自分がいる

 

 

これで最後なんて

嫌だからね。

 

 

これが最後かもなんて

本当に嫌だ。

 

 

 

バスの中で泣いちゃうのが嫌だから

今日も

「見送らないでいいよ寒いからね・・」

って ごまかす自分がいる

 

 

心配が湧いてくると止められなくて


だからさ 

 

そんな思いは潰して潰して

母の笑顔はいつも可愛いなぁ~って

笑うんだ。

 

 

 

湧いてきた感情は潰さないで

「あったね」ってそっとすくうんだよ

 

わかってる

わかってる

わかってるんだ

 

そんな事 さんざんいつも私が

みんなに言ってるよ・・。

 

 

うん わかってる

 

 

わざと潰してるのは

もう心配という愛で 心がいっぱいなんだよ

 

 

おかあさん 大好きです

おとうさん ありがとう

 

本当に愛してます。

だからさ イナクナラナイデネ。

 

 

 

 

 
 


タノムヨ。