映画【桜色の風が咲く】の中で


「『神様は乗り越えられる人しか試練を与えない』って言葉が大嫌い」というセリフがあった。


そうだよなぁと思う。

 


占星術では「人にはそれぞれ使命があって、それは自分で選んできている。」という事も伝えてる。

土星の話をする時には特にそうで、

『試練』も自分で選んでいて、使命は試練の先にある、みたいな話になる。

本当にそうなんだけど、この話をする時には慎重になる。


使命って自分で気づくもので、

しかも探している時はなかなか見つからなくて。


ふとした瞬間に(あー、コレって私の使命なのかも)って気づくようなものなんじゃないかな。


まして試練の中にいる人に「それがあなたの使命ですよ」なんて絶対に言えない。


映画のセリフも言われた人が、試練を乗り越える勇気になる場合もあるし、反対に追い込む事もあるだろうなぁ。

言葉はタイミングや何よりお互いの関係性で使い方が難しいね。


映画の中に出てきた詩があって、

私が占星術を通して伝えたいと思っている事が詰まっている詩だった。


私たちは〈欠け〉を持って生まれてきて、決して一人では完結しない。



   生命は      吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

わたしも あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない