1ヶ月くらい前だったかな。
母が自宅の近くで転倒。前歯が欠ける怪我をしました。
その事を自分から連絡してくる母ではないのですが、たまたま私が電話をかけてその事を知りました。
実家へ行き、転んだ時の様子を聞いたり欠けた歯を見せてもらって(ちょっと笑った)その日は帰りました。
怪我は大したことなくて良かったけど、怪我よりも〈転んだ〉という事に母はとてもショックを受けていました。
『年寄りがフラフラ出歩くと周りに迷惑かけちゃうね』なんて、珍しく弱気な発言が出るくらいメンタルやられていました。
次の日、電話をかけたら電話口の母は明らかに不機嫌でした。
(実家の電話は誰からかかってきたのか音声で知らせてくれるので、出る前から電話の相手が私だと言うことは分かっています)
母は電話に出るなり『もしもし、何!?』
その声と口調で機嫌の悪さを察知した私は心の中で(あ〜、かけなきゃ良かった)となる訳です。
私『何?って、痛いのどうしたかと思って』
母『もう大丈夫よ』
私『あ、ほんと。なら良かった』←棒読み
いつもなら、そのまま雑談が始まるところだけど、私もムッときていたので
『大丈夫ならいいの。またね』
と言って電話を切り、その日からずっと連絡しませんでした。
だってお母さんが〈大丈夫〉って言ったから。
先日、私は心が傷つく体験をしました。
悲しくて惨めで、〔自分には価値が無い〕沼に沈みそうでした。
その時、心配して声をかけてくれた人に私が言った言葉は「大丈夫」でした。
でも本当は全然大丈夫なんかじゃなくて、寄り添って欲しかった。
あー、そうだったー、大丈夫じゃない人ほど「大丈夫」って言っちゃうんだった。
「大丈夫」しか言えなくなっちゃうんだ。
お母さんも、あの日電話口でこんな気持ちを味わっていたんだろうな。 私いじわるだったな。
母に寄り添わなかった日の私は悪意なんて全く無いつもりでした。
でも優しい気持ちじゃなかったことも事実。
薄々わかっているのに、本音に気づかないふりして面倒なことから遠ざかってた。
察するの得意なくせに鈍感なふり。
同じような立場になって気づかせる宇宙の偉大さよ。
素直に謝れないから「コストコのトイレットペーパー買ったから持って行っていい?」って連絡して会いに行きました。
(母はコストコのトイレットペーパーが大好き笑)
お互いこの間の電話の話はしないけど、どうってことない話をしておしまい。
本音と言葉がチグハグしちゃう時ってあるよね。
言葉とは裏腹な本音に気づく優しさを持っていたい。
同時に、本音を言葉にすることも大切だよね。