妬み・嫉み / ねたみ
嫉み
自分と他人を比べ、他人の優れた部分を羨み、憎く思うこと。
似たような意味の「妬み」
相手に対しての憎しみが強いのに対し、相手が優れていることに対して劣等感を抱くという意味合いが強い。
(ある物事に対して)「…ねたんでたんです、凄い言葉で思ってて…」という同じ文言を、ここの所立て続けに聞いた
実は数年前まで「ねたむ」という感覚を意識した事が無かった
子供の頃から私はいつも「ねたまれる側」
数年前、霊能者に「妬まれてますね」と言われてから「ねたみ」を意識する様になって、初めて自分が「ねたみ」を体感した時、これかぁ!っと新鮮だったのを覚えている
とは言え、キラキラしたsnsを見て「イラ」っとした位なもんで、本格的な「ねたみ」を私は知らないし、また知りたいとも思わない
「あの人良いなぁ、羨ましいなぁ」が倍増されて
自分は得てないのに、あの人にはあると思うとシャクに触る、腹が立つ、不快である…という事なのだろう
何とも苦しそう
…っと言うか、自分がねたまれる時、苦しい波動が飛んでくるから、その感覚はよく分かる
ねたみ、嫉妬
自分が望むモノが「あの人には有って、自分に無い」この「自分に無い」という思い込みがそもそもの原因だよね
自分に有ったら、嫉妬はしない
あの人の心臓💓が羨ましい…とはならないからね
だけど「ねたむ人」と、憧れや尊敬、目標、賞賛という意識になる人とでは一体何が違うのだろう…
やはり「有る・無い」が関係していると言える
自分にも「有る」「できる」って時は、嫉妬では無く「真似しよう」とか「この人凄い」とか別の感覚になるもの
もし、身近に、妬ましい人がいて苦しかったら
自分にも有る、できる と思えたら楽になるね
ねたみ、でなくとも、誰かに不快がある時は
自分側の責任である
あの人はあーだこーだと言ってれば、せいせいとする…そんな人はそれをしたらいいし
嫌いな人を好きになる必要もない
ただし
自分の感覚は自分から発生している事
(発生させられたのではない、という事ね)
自分の何かが触れて不快になっている「自分の捉え方」なのだから、また手放すのも自分次第で自由自在にできるのだと、知っているのと知らないのとでは大違い
嫉妬は、自分の望みと、自分の否定部分を認識させてくれてる大切な感覚なのだ
良い感覚も、嫌な感覚も、お宝でしか無い
気付かせてくれてありがとうと、自分の嫉妬に感謝して、お別れできたら上級者😊
…ちなみに
その嫉妬してた方の内のお一人は、自分がかつて嫉妬した物事を自分がする事になった♡一つ望みが叶ったのだ
良かったねーーー😊
彼女は上級者🎉
幸せを自らの力で掴んだ!やったねー!
嫉妬のそこにヒントあり
嫌な感覚こそ悪者にせず、自分の気付きのヒントにできたら、何が起きても人生を好転させられる自分になる
そうある時、自身の人生のクリエイターが自分であるという喜びで、日々が楽しくなってくる
自分次第でいかようにも💓生き方は選べる
それを、本当の自由と呼ぶ
ヒラヒラと〜蝶の様に〜🦋
多くを与えられている私たち
全て「ある」の意識で👍そしてそれが真実
素晴らしい自分を素晴らしい地球を、そして素晴らしい体験を
今日も一日、堪能!
ひゃっほぉーう\(^o^)/
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