成れの果て3
テレビ自体は当分なくならないということのようで、
お題として挙がっていた
「地上波デジタル放送完全移行前にネットの番組をテレビに繋いで見るようになるか」
というものを占います。
答えはnoと出ました。
アメジスト→「危険」:熟考
アクアマリン→「健康」:本当の幸せ
カーネリアン→「危険」:遅れ、「活動」:新しいはじまり
ローズクウォーツ→「隠された資質」:変更
トルマリン→「精神」:運命
来年までにそうならないのか、ずっとそうなることがないのか。
結果からは今のところは「テレビ」と「ネット」は「別物」というようにうかがえます。
目に見える部分、物質世界では「単にテレビの見方が新しくなる」ということになるのだと思いますが、
もっと重要な意味を含んでいるようです。
トルマリンが示すものは「運命的なもの」であるということだからです。
先の記事に半ば冗談で「天に背く仕組み」とした「テレビ」ですが、
「テレビを観つづけることを選択する道」と「ネットに移行してゆくことを選択する道」、
それをはっきりと分けてしまう(本当は全部取り込みたいけど、無理だから遮断する、
という感じでしょうか)目的なのが「地上波デジタル放送完全移行」ということに
なるのかも知れません。
それは「情報を鵜呑みにし、コントロールされつづける道」か「コントロールから解放され
自分の考えでもって判断できる道」を選択することだと思います。
これってそのまま「アセンションするか、しないか」ということにもつながっているように感じます。
地上波デジタル放送にすると、ネットのようなシステムが採用されるようですね。
直接発信側とつながって、買い物だとかクイズの答えを打ち込むだとかできるとのことですが、
テレビなのになぜネットのようにするのか。
「ネットをしなくてもいいや」と思わせるためである、という話を聞いたことがあります。
ネットの情報に触れさせないためである、と。
もしもネットの番組をテレビに引っ張ってくると、情報に触れて欲しくないのが事実ならば、
「ネットではこういう番組をやっているのか。どれどれ私もネットをやってみようかね・・・」
などとなるとまずいのではないでしょうか。
テレビ側は視聴者をコントロールしたいのですから。
ただ、流れは止められないのではないかとうかがえる配置もあります。
地上波デジタル放送完全移行前まではnoと出ましたが、それ以降ではあり得るようです。
じわじわとその波は押し寄せるでしょう。
時間はかかるかも知れませんので、当分「つまらんテレビ」を観るハメになりそうですが、
急に変化したとしても、今までコントロールされていた人たちにとってはついていけない事態に
なってしまうからかも知れず、少しずつという形となりそうです。
完全移行して「なんだかつまらんなぁ」という声が徐々に高まるということでしょうか。
「ネットの番組をテレビで観る」という選択しかなくなり、「ネットの方がおもしろいんだ」となり、
「今までコントロールされていた」という「真実の幸せがなんたるか」に気づくという流れに
なるのではないでしょうか。
本当の自分のあり方、というものが見えてくる人が増えてくるようです。
最終的には「天に背いたもの」を「天」が包み込む形になる、ということかも知れません。
先の転機の2年半弱後あたりというのは「テレビ」が「ネット」に完全に食われる時期とも
考えられますね。