革命はテレビに映らない
と
Gil Scott Heronは言った。
警察が
黒人を撃ち殺すのも映さない
過激な女性活動家の姿も映さない
と
彼はポエムリーディングの
スタイルで
告発を行った。
つまり
マスメディアは
社会の不正や
ストリートで起こっている問題、
そして、
市民達の怒りを報道しない
という批判であった
と僕は理解している。
街頭演説や
デモといった
抗議行動を
権力に懐柔されたテレビ局
(新聞も)は
スルーする。
大企業の広告費によって
番組が成立するテレビは
時に
都合の悪い事は
報じないと
亡き母に伝えた所、
テレビがウソをつく訳がない。
バレたら大問題になると
僕を真っ向から否定した。
健康になる秘訣を
教えてくれて、
旅の候補も提案してくれる、
そして、
大好きな
天皇陛下のお姿を
映してくれるテレビ...
一人暮らしの彼女にとって
一日中そばにいて
寂しさを紛らわせるだけでなく
喜びや楽しみを提供してくれる
テレビを悪く言う僕に
敵意を抱き
不貞腐れた顔で
睨み付けられた事も
今となっては
良き思い出。
結局彼女は
テレビを愛し
信じたまま
死んでしまった。
今、
僕の友達は
真実はテレビの中にないと
断言する。
僕は危うく
彼女に同意する所だった。
何故なら
Gil Scott Heronと
同じ事を言っているなら
賛同せざるを得ないから。
ところが
彼女が次に発した言葉が
僕を思い止まらせた。
真実はネットの中にある!
え?
確かに
テレビが報道しない事を
インターネットで
見つける事はあるだろう。
僕だって
情報をネットで
収集する事もある。
しかし、だ。
同時に
恐ろしい数のデマが溢れ、
そのデマが時に
人を
死に追い込んでもいるのだ。
ファクトチェックのない
新時代のメディア!
信用を失った
テレビが
オールドメディアと
呼ばれて久しいが
それが事実であるかどうか
検証するプロセスがあるだけ
インターネットの
デマサイトよりは
百倍マシである
とは言えないだろうか
(そう言う意味では
亡き母のエクスキューズは
あながち間違いでもなかった)?
つまり、
真実はテレビの中に
ないかもしれないが
ネットの中にも
ないかもしれないのだ。
テレビを観て
ネットをチェックして
本を読み
友と意見交換をし
誰かの演説を聞いたりして
様々な人の見解を
取り入れ、
比較し、
一貫性や
整合性を見つける
或いは、
矛盾を発見し
真実に
一歩でも近づく努力を
我々は怠ってはいけない。
その大前提として
政府や企業の広報には
懐疑的であるべきなのだ。
革命はテレビに映らないけれど
偽の革命がネットに
アップされている
かもしれないしね。
AIが簡単に
革命を作ってくれるだろう。
いや、
大国が
資金や武器を提供した革命は
テレビでも放映していたか...
Gil Scott Heronが
言いたかったのは
簡単に信じるな!
ではなかったか?
真実から目を逸らすな!
ではなかったか?
真の革命は
ライブでしか目撃出来ないぞ
と締め括ってもいた。
又
彼は
我々はデトロイトを失う所であった
とも言った。
彼は、
1975年に
発売された
『We Almost Lost Detroit』なる
原発事故を扱った
書籍に着想を得て
同名の曲を作った。
アメリカの
スリーマイル島で起こった
原発事故の半年後、
反核コンサート、
''No Nukes''
で彼はその曲を歌っている。
発電所から
40キロも離れていない
デトロイトで
事故が起これば
街が
消滅してしまうじゃないか。
誰も子供の事など考えていないし、
金の言いなりだ...
と
彼はブルージーで
メロウな演奏に乗せて
語るように歌ったのだ。
これは1990年の
ロンドンでのライブ。
(We Almost Lost Detroit収録アルバム)
1966年に
デトロイトの郊外にあった
エンリコファミルという
高速増殖炉が試験に失敗し
閉鎖されていたらしい
(世界初の
炉心溶融は
当時報道されなかったとか)。
今、
誰が歌っている?
We Almost Lost Fukushima
と。
PS
ナチスの迫害を逃がれて
アメリカに移住した
フランシス・ウルフが
ブルーノートレコードを作った。
彼がドイツで殺されていたら
ジャズの歴史は
全く違うものになっていただろう。
そして、
エンリコファミルが
大事故を起こしていたら
デトロイトで産声を上げた
モータウンレコードも
消滅していたかもしれない。
人種差別
全体主義
大量虐殺
原発事故
は
文化を破壊する。
PPS
↑
これらを
容認する
政治家がいますよね?
文化を破壊する
可能性のある政党に
投票してはいけない。