大きくなって来た 寿 ピースくん。
先週、家に連れて来た時の体重は380g。
今日、病院で計ったら520g。
毎日見てても大きくなったことが判るくらい成長が早い。
よく遊ぶしよく食べる。
で、ともだちができた。 名前は 『銀太郎』
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大きくなって来た 寿 ピースくん。
先週、家に連れて来た時の体重は380g。
今日、病院で計ったら520g。
毎日見てても大きくなったことが判るくらい成長が早い。
よく遊ぶしよく食べる。
で、ともだちができた。 名前は 『銀太郎』
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動物の霊性進化は、人間との愛の関わりを持つことで促進されるとシルバーバーチは言う。
そして、人間は動物に対して進化向上を促進するための管理責任を『義務』として担っているとも言う。
これは、動物には神様の存在を認識できないため、
地上で唯一、神様を認識できる人間が「神の愛を代行する」役目を背負っているという意味らしい。
無償の愛を神様の変わりに動物たちに届けることで、人間も本当の愛(神様の意図する愛)を徐々に学ぶことになり、
動物たちも、徐々にその愛を蓄積して成長して行く仕組みが『法則』としてこの世の背景に存在しているらしい。
物質的には人間の次に進化しているのはサルの仲間なのだけど、
霊的に人間の次に進化しているのは犬で、その次が猫と言われている。
これは人間との愛の関係が、サルより犬や猫の方が濃密なことで起こった今現在の結果らしい。
因みに、人間が動物に対する責任を果たし始めると、
自然界で起こる残虐な弱肉強食でさえ消えて行くと言われている。
狂牛病や動物を媒介する新型のウイルスのような病気も発生しなくなるらしい。
つまり、この狂牛病や新型ウイルスは、人間が犯している法則違反の結果(一種のメッセージ)ということを、
人類は知るべき時期に来ているということなんだろうな。
この仔猫に出逢って、僕が少しは役立っていたとするなら、ちょっと嬉しい。。☆
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元気になったピース。
だけど、もうこのあどけない表情にだまされてはいけない。
ザクッ。。
野生って。。たくましい。。☆
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昨日、ピースの検便の結果がでた。
(予想通り)ウィルス感染症と虫がお腹にいるらしい。
でも、日に日に動きが敏速になってイキイキとして来た。
もう、普通の仔猫とほぼ同じくらい活動し始めたし、トイレも8割ほど覚えた。
昨日病院から送ってもらった薬も嫌がらずに飲むし、毎日のヒーリングも催促するくらい好きみたい。
何よりご飯をよく食べる。
いい子だ♪
寝ぞうが悪い。。☆
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昨日、仔猫を動物病院へ連れて行った。
生後40日前後の男の子♂と判った。
とりあえず、シラミの駆除と目薬をしてもらった。
検便の結果は今日の午後には判明する予定。
まだ下痢が止まらないものの、目はだいぶいいし、かなり元気も出てきて遊ぶまで回復した。
たぶんもう大丈夫♪ ほんとに良かった。。
名前をつけた。
寿・ピースくん。
体の模様が「八割れ」というタイプ(顔の白黒が漢字の八の字)ってことで、これは「末広がり」で縁起がいい。
なので姓は寿(ことぶき)。 名は、この子を見た人の心に平和をもたらすという想いを込めてピース。
普段はピースって呼ぶことにした。
がんばれ! ピース。。☆
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仔猫を連れて帰って3日目。
3~4時間ごとに食事とシモの世話。 そして時間の許す限りのヒーリングをしてる。
ちょっと寝不足な日々なのだけど、今日はそのねむ気も吹っ飛ぶような嬉しいことが起こった。
完全に諦めていた「潰れた右目」が、なんと開いた!
しかも、どうやら見えているらしい♪
おぉ~神様!
背後の霊医の方々へ、ご協力を心から感謝したい。
体力もだいぶ回復して来たみたいで、少し走ったりもした。
この子はもしかしたらこの先も生きられるかも知れない。
希望が湧いてきた。
もうしばらくヒーリングを続けてみよう。
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昨日、千葉の某海浜公園に行った。
この公園には野良猫が数十匹いる。
猫を捨てに来る人が後を絶たず、更に自然繁殖で増えた結果らしい。
最近、この公園に時々行ってはこの猫達の様子を観察してた。
公園では「将来的に猫達の不幸を招く」としてエサやりを禁止している。
とは言っても、やっぱり空腹で人や犬に怯えながらも猫達は一生懸命生きている。
何か食べ物をあげたくなる人も多い。(僕もコッソリとキャットフードをバッグに入れてあるクチ。)
何度か通う内に、エサやりを日課にしている方も数人いることが分かった。
それでも栄養状態の悪い猫が多いのだけど。。
人になついている少数の猫はまあまあ栄養状態は良く毛ヅヤも良い。
ところが、なつかない大半の猫達は目つきも悪く病気も多いのでガリガリでみすぼらしい。。
つまり可愛くないので人間からエサをもらえる確率が低い。
この猫達の状況や対応について賛否両論あるのはご想像の通りなのだけど、
元々は人間が引き起こした問題だし、猫達にはなんにも罪はない。
人間が責任を持って守ってあげるべきではと(個人的には)思う。
でも、そうは思わない人もいれば猫を捨てに来る人も後を絶たないのだから、簡単にはいかない。
どうしたものか?って考えながら、答えを導き出せないまま昨日も帰ろうとしていた時、
小さな女の子が一匹の幼猫と向き合っている場面に出くわした。
女の子は猫じゃらしで幼猫と遊ぼうとしているのだけど、幼猫は衰弱していてほとんど動かない。
よく見ると、右目が潰れている。。
そばに親猫もいないし、この環境じゃぁ まず生きられない。
で、
今日は少し元気になって来た♪
生きられるかはまだ分からないし、これでいいのかもよく分からないけどさ。。☆
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昨日、たまたまTVをつけたら「オーラの泉」最終回をやってた。
僕はこの番組をあまり見てなかったんだけど、色々と考えさせられた番組だったと思う。
スピリチュアルブームの火付け役的存在のこの番組が終わるということは、どんな意味があるんだろう。
この番組を観て、霊の存在に気付いた方も多くおられるだろうし、
逆に懐疑心を強めて更に否定的になった方もいたのではないだろうかと思う。
江原氏は、「シルバーバーチの霊訓」を読んで、霊能者として生きて行く決意をしたらしい。
そのことから考えれば、この番組は 「高級霊界側のデモンストレーション」 と考えて間違いないと僕は感じてる。
今回のスピリチュアルブームの内容・程度はともかく、日本人の70%以上が霊の存在に気付くに至ったことを考えれば、
このデモンストレーションは大成功だったといってもいいと思う。
これは日本がそして日本人が、ある程度のレベルの霊的知識を手に入れるべき段階・時期が来たため、
高級霊界側からのアクションとして、メッセージとして、届けられた番組(演出)と考えられるということ。
実際に霊の存在を信じる日本人が過半数を大きく超える結果をもたらした。
霊界側には、「まずは気付かせよう」 という意図があって、
霊媒を使った心霊治療や霊視・霊言などの奇跡的と感じさせる証拠を目の前に提示することを、
国民性や地域性・時代背景に合わせて行う作戦は今も昔も変わらない。
で、この番組の終了は、その第一段階を終了したと考えて構わないと思う。
さて、この先スピリチュアルはどうなって行くのかというと、
日本人、それぞれ各自の「霊性」に見合ったレベルの霊的活動へと分散して行くと思われる。
霊の存在を知ったからと言って、その感じ方・考え方や対応の仕方はそれぞれに違うワケで、
各自の霊性と自由意志に委ねられたスピリチュアルは様々な展開を広げて、
時に世の中に貢献し、時に問題を起こすこともあると思う。
一人の霊格者を祀り上げた宗教へ奔走する人もいるだろうし、
占いや霊的カウンセリングに没頭する人もいるだろうし、
パワーグッズやお守りなどの物質的な「物」に執着する人もいるだろうと思う。
また、自分より艱難辛苦の多い人の手助けをしたいと心から願う人もいるだろうと思う。
その方向性はそれぞれの霊的学びの段階によって様々で、「より良く(善く)生きたい」 と願う心の表れには違いない。
向上心は「霊」の宿命だから。
「霊」としてこの世を、そして永遠の生命をどう生きるのが望ましいのかを、こういったことから少しずつ学んでいく。
この地球で生きる僕たちは、まだまだとても幼い霊。
『全ての人間が、他者のために役立とうという想いで生きれば、誰一人として不幸な人はいなくなる。』
たったこれだけのことになかなか気が付けない。 気が付いてもできない。
(約2000年前、地上に生まれたイエス(キリスト)という人間は、このことを伝える使命を持ってこの世に生まれて来た。
けれど、約1700年前の二ケーア会議などの政治的思惑から聖書は改ざんされてしまった歴史がある。)
高級霊界側が地上に働きかける最終的な意図は、これに気付かせ、実践させ、霊性を向上させることにある。
僕ら地上の人間が上手く出来ないのは初めから承知の上だし、
僕ら自身も上手く出来ないから地上に生まれて来る。
(イエスのような例外も極まれにはあるけど、基本的に[出来る人(成長した霊)]はこの世には生まれて来ない。)
そして現在、高級霊界側では『地上のいかなる宗教組織も人類を救済することはできない。』と判断して、
宗教組織に霊力を降ろすことに見切りをつけているという。
勘違いしそうなので説明しておくけど、「他者のために役立ちたい」という人間には宗教云々の境目無く霊力は降ろされる。
毎週、教会やモスクへ行かなかったとしても、お墓参りや神社へお参りしかなかったとしても、
それは立派な信者ではないかも知れないけど、人間(霊)として立派な人は大勢いる。
そんな立派な人には次元の高い霊力の働きかけがふんだんになされることは言うまでもないと思うよ。
そう、全ては各自の「心に何を想い、実際に何をしたか」ということなんだね。
今回のこのTV番組に関わった背後の霊団と地上の多くの霊媒たちに、
心から「お疲れ様でした」という想いと「感謝」の気持ちを届けたいと思います。。☆
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最近、残虐な児童虐待が増えてるなぁ~って感じるのは僕だけかな?
実は、児童虐待をする大人は、自分が虐待を受けた経験を持つ場合が多いそうな。
なんで、自分が「嫌だ・辛い」と感じたことを、別の人間にしてしまうのか。。 不思議に思いません?
もちろんケースバイケースなんだと思うけど、答えは意外と簡単なような気がする。
躾(しつけ)と称して子供に体罰をあたえる。
大人は、子供が行った行為を、自分の作り上げた常識に照らして善・悪を判断して、
それを悪と判断した時に何かしらのアクション(対応)を起こす。
この対応の方法は、おおよそ自分の過去の経験の中にあるものから選択していることは言うまでもないと思う。
その選択肢の中に「体罰で解らせる」があって、それが強く印象付けられている場合、
体罰を選択してしまう可能性が高いんだと思う。
更に、物質的肉体の持つ獣性が優先して、霊的本能にある理性が押し込められると「虐待」という暴力になってしまう。
そんな風に思う。
「体罰」とは、たとえ相手のことを考えての行為だとしても 『暴力』 には変わりはない。
よく学校や教育問題で「体罰」は必要かどうかの論争が起こる。
体罰賛成派の意見は、時には「愛ある暴力」ならば必要ではないだろうか。 が多い。
一見、素晴らしい意見だと納得しそうになるのだけど、果たして「暴力」が愛の道具として本当に必要なのだろうか?
「暴力」とは、相手に痛い思いや苦しい思い、恥ずかしい思いなどを経験させて、自分の正義感に従わせようとする行為。
場合によっては相手を自分とは無縁の場所へ追いやる行為。
たとえ、その正義感が正しかったとしても、その行為は強制的で相手の自由意志を尊重していないと思う。
暴力を行使するという行為は、恐らく「最後の手段」の場合が多いとは思う。
でも、本当にほかの手段がないのだろうか?
ほかの手段を知らないだけ、または、手っ取り早く解らせる方法として行使していないだろうか?
結局賛成派は、問題の解決方法として、「自分の正義を貫くためには、最終的に暴力を行使してもよい。」 と、
子供たちの心に刷り込んでいないだろうか?
人間は日々日常の中で、相手に自分の考えを認めてもらうと安心し、認めてもらえないと不満を抱く。
認めてもらえない場合、相手に自分の考えを解ってもらいたいと願う場合が多い。
時にそれが論争に発展する。
どうしても納まりが付かない場合、相手を『敵』とみなして攻撃を始める。
言葉の暴力 イジメなどの精神的暴力 肉体的苦痛を与える暴力
こういったことを行ってしまうのは、それぞれが過去の経験の中から選択しているとなると、
僕は「体罰」には賛成したくないな。
物質的肉体の持つ獣性に支配されて理性がマヒしてしまうと、暴力に頼ってしまう可能性が高くなるし、
更には自分を満足させる効果的な手段として「快感」さえ覚えてしまうことになると思う。
「愛」の行為なら暴力は許されるとするのは、
「暴力」以外の方法で問題を解決する努力をなまけてしまっているような気がする。
大きな話をすると、
これが戦争の無くならない原因の一つと言えるかも知れない。
『愛』を装った暴力
相手を自分の考えに無理やり従わせようとする行為。
不満が尽きないのは霊としての宿命で、それは向上心の表れ。
これが尽きることは永遠にないけど、その想いを相手にごり押しすることは、決して『愛』ではないと思うんだ。
寛容な心 包容力のある心を。。☆
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