幸いなことに聴力は
少しずつ回復を始めた。

半月前の受診日に夫が付き添い、
私の眼振を医師と確認した日は、
聴力は戻らないと思う、
と又言われた日でもあった。

診察後、買い物に寄った夫は、
店から出た途端に
私の前方をスタスタと行ってしまった。

車のドアの横に立ち、
ノロノロ歩く私を確認して、
運転席に座った。
 

めまいでソファーに横になる私を
知っているのに。
遅れて乗り込む私に、
体調を心配する言葉もなく。

次の店でもそうだった。


彼の背中は
苛立っているみたいだった。
面倒くさいと思っているみたいだった。


片耳が難聴になったことが、
私の価値を下げてしまった?


これが、手だったら。足だったら。
目だったら。脳だったら。

きっと、
妻を介護するという脳みそはないのかもしれない。


CINDYさんが教えてくれた。
過去の記事についたコメントの言葉。
妻は家具   という表現だった。 

壊れたら、いらないし、邪魔。
新しいのに変えればいいってこと。














突発性難聴のため

左の聴力は戻らないそうです。



失ったり、

受け入れる年齢になったのでしょう。


ご心配をおかけいたしました。



耳が二つあって良かった。

 

会話はできるし


聞きたくない声は聞かないフリをしたらいい





片耳を押さえながら、

聞こえの確認。


あ、あ、あ


左右の差異を知りたいから。


夫は言う。

あ、あ、あ  と言うのだから、

アッラー、アッラー、アッラーと言えばいいじゃない?


そんな些細な物言いで、

私の日常は縮こまる。



何気ない積み重ねの生活が、

私を作ってきたのだろう。



前の記事の話をすると、

友人達は言いました。


水くらい自分で入れたらいいって。



パキスタン男は女を選んでる。

言う事を聞かせられる女を。


沢山のパキスタン男にイスラム教のことで、

インタビューを繰り返した独身女性。

誰にも結婚を迫られなかったって。


従順ぽく見える人が、

パキスタン人に狙われる。












体調不良のため、
自身のブログすら開けませんでした。

ですから、
最近で言えば、
悩みの真っ最中で
妹さんの為に親身になれたごまちゃんさんは
すごい人だなと感心しました。



私は家族のゴタゴタで
頭痛で寝込み、
左耳の聴力を落としました。

何もする気になれず。

ワタシはモロイのだなぁ


電話での会話は右耳でしか
出来なくなりました。
友人との電話中、
階下の声は聞こえませんでした。

聞こえの悪くなった左耳にかすかに聞こえた
怒号。
慌てて降りたら、夫の睨みと怒鳴り声。

何回俺が呼んだと思うんだ!
耳が聞こえないのか!

電話中で聞こえなかったという私に
夫は言った。

水をちょうだい。

ケバブを頬張る夫の左側は台所なのに。
わざわざ階段下まで来て、
水の為に、私を呼んだ。


怒鳴られたことに腹を立てた私は
不機嫌なまま。

夫は私に面と向かって怒鳴り出した。

俺が何度呼んでも返事をしなかったから
大声で怒鳴ったんだ!
お前が返事をしなかったから、
怒鳴ったんだ!

目の前にいるのに、
夫は怒鳴った。

1日に、何度かは礼拝するのに、
近所のモスクでも
自称良い人なのに、
やっぱり、こんなものだ。

ヤフー知恵袋で
パキスタン人との結婚を相談した彼女に
差し伸べられた回答は素晴らしかった。
私でもCINDYさんでもないのに、
私達の想いが綴られていた。
相談者の判断も素晴らしかった。

私は力がもらえました。

















前回に引き続きCINDYさんとの共同記事です。
ご参考になさって下さい。
また、実例や対処法などありましたら、
コメントを下さい。
誰かの解決の手助けになるかもしれません。
リブログ、拡散など
ご協力お願いいたします。
この10年前のやり方で
今も不良外国人や偽装難民が
日本滞在のため、
1番お金のかからない手段。
更新すれば永住許可につながる、
配偶者ビザを狙っています。

前記事の追記として
【実例8】
義理の弟の滞在のため、書類を集めるために行政書士事務所を訪れた際に、開口一番”結婚させちゃえばいいじゃない”と言われました。滞在にも永住権にも一番の近道なのかもしれません。
以上
余談として
その行政書士事務所で
パキスタン男と年上日本女性は
配偶者ビザが却下されたと相談していました。
行政書士は即答しました。
貴女の娘さんと結婚させれば?って。
法律に則っている仕事をしている人に
モラルはありませんでした。


【実例9】
日本人女性が20歳くらい年上。夫はパキスタン人。妻はすでに高齢で子供なし。
永住権取得後数年して、夫は”子供が欲しい”と日本人妻に内緒でパキスタン女と重婚。
男は仕事の関係で、日本人妻と日本国内で別居生活。パキスタン男は徐々に日本人女性に生活費を渡さなくなる。日本人女性の生活が行き詰まる。生きていくためには生活保護を受けなければならない状況に追い込まれる。パキスタン男から”生活保護を受けるためには離婚しなければならない”と渋々離婚を受諾。
男にとっては計画がうまくいったに過ぎない。
以上
追記
男とは連絡が取り合える状態にあります。
男は日本での借金を踏み倒し
パキスタンに住んでいました。
数年前に来日。
生活保護だけでは足りないだろうから、
男があげるはずだったお金はもらえず、
一度だけ1万円を持って来たことがあったそう。
80歳になる彼女は今も妻の気持ちでいます。






CINDYさんの実例集より抜粋します。


【実例5】
パキスタン男性40代、日本人女性50代後半関東在住。
永住権を申請中にパキスタン男はパキスタン女性20代と結婚、妊娠させる。出産したかしないかの時期にパキスタン男は日本人女性と離婚。パキスタン女性と子供は来日を果たす。
半年ぐらいの間隔で日本滞在、パキスタン滞在を繰り返すのは、パキスタン女性と子供のビザの更新のため。永住者の配偶者・子供にあたる妻子は、ビザの更新を繰り返すことで永住権を取得するのが目的。彼らが永住権を取得したら、パキスタンに落ち着いて生活をすると話している。

以上

追記です。
以前記事タイトルにしたイムランのことです。
現在は日本に住んでいます。
イムランが交通事故を起こした時、
現場に夫と向かいました。
イムランは救急車を呼び、
妻は妊娠しているから、私に同乗して欲しいと。
妻は痛がる風でもなかったけれど。
通訳の私は、妊娠の可能性と痛みを伝えました。
医師も看護師もすごいですね。
内診することなく、お腹を触っただけで、
妻が妊娠していないと教えてくれました。
イムランは
妻が事故のせいで流産したと請求しようとしたのかもしれません。
咄嗟に嘘がつけるのです。

その後、妻は病気が原因で目が不自由になりました。
イムランの携帯もアパートも、光熱費も車も
妻名義でした。
何かの障害者の補助金があったのかはわかりません。

イムランはパキスタンで働かない
チンピラみたいな兄と妻を招聘したそうです。


【 実例6】
当時、日本人女性20代とパキスタン男30代?
結婚し一児をもうける。永住権を取得。
日本人女性は子供と一緒に別居しながらもパキスタン男の母親の看病のために渡パを決意し、前向きに考えていた。パキスタン男は一人でパキスタンに帰国中、花嫁を探していた。”日本人と結婚していたけれど、それはビザのためだ”と周囲に話していた。
日本に帰国後、離婚。夫はパキスタン女と結婚(離婚前か後かは不明)来日。(パキスタン男の母親の看病はしなくていいの?)現在、子供も生まれて正式に日本に滞在している。

以上

追記です。
以前記事タイトルにしたアサドのことです。

妻はパキスタンから兄を招聘しました。
すぐに難民申請をして、
起業ビザに切り替えました。
会社はペーパーカンパニーで、工場で働いているそうです。

パキスタンから若い男性が入国するのは難しいです。
不法滞在の恐れがあるからです。
妻は時々子供達とパキスタンに滞在していました。
弟が来日できたのは、
女性一人で子供数人を連れ帰るのは、大変という理由でした。

私も昔同じことをしました。







2010年ある男の犯罪をきっかけに
麻布警察へ提出した資料があります。
CINDYさんをはじめ、多くの方々から頂いた
実例集です。

エグい手口の情報提供を求めています。


10年前は偽装難民はいませんでしたが、
オーバーステイ男とやり口は同じです。

これから、CINDYさんブログと協力しながら
実例を記事にしていきたいと思います。

偽装難民の手口ご存知ですか?
不良外国人が日本滞在のために、
日本人を踏み台にしている例を
ご存知ですか?


【実例23】
イスラム教勉強会で、重婚が発覚した例がありました。
初対面のバングラデシュ人夫に持つ2人の女性。

1人が
〝奥さんに働かせて、自分だけ帰国して、若い女と結婚している男がいる。
その男は日本妻を馬鹿にして、自分の悪行を自慢している”
という噂話をはじめたところ、
もう1人の彼女がおそるおそるその男の名前や住所を尋ねてきた。
その時に自分がその当事者だと知る。
何も知らない夫が迎えに来る。
彼女も知らない振りをして帰る。
数日後バングラ男がモスクに怒鳴り込んだ。
勉強会なのに、くだらない話ばかりしやがって!と。

以上


バングラデシュ男は
自分の悪行を自分で吹聴していたのに、
自分を恥じるどころか、
その事実を妻に伝えたのが
悪いと訴えたかったでしょうか?

自分の悪行を隠したまま、
男はモスクで大暴れをしました。
私から事情を聞いた夫は、  
勉強会なのに余計な話してるから!  
という内容で、私に怒り、モスクに戻りました。

何故自分が悪いのに、
逆ギレして終わらそうとするのでしょう。
彼らの思考回路は破綻しています。

前記事、前々記事、
コメント欄のごまちゃんさんの

男の悪行を止める方法、
妹さんの洗脳を解く方法

思いつくままでいいので、
お知恵を貸して下さい。


今、滞在資格を持っている外国人も
はじまりはこの程度の外国人です。
この人達が手引きする外国人も
この人達を手本とする外国人も
同じです。

私の夫はオーバーステイにならずに
順当に正式に滞在しています。
しかし、親戚を出稼ぎさせるために
招聘を繰り返しました。
親戚を偽コックとして招聘を
企てました。















前の記事のコメント欄での
やりとりを埋れさせたくありません。
ご興味ある方は読んで下さい。
今のパキスタン男の
騙しの手口がわかります。

偽装難民の騙しの手口についての情報を集めています



私の情報は古いです。
ノービザで来日できて、
3Kの仕事で働いてきた世代です。

そのままオーバーステイになったり、
日本人と結婚するパキスタン男。
偽造テレフォンカード、盗難車の犯罪も。

永住許可取得までの道のりも長く、
家族も形成できていました。
年相応の結婚が普通でした。

相手がみつからない男は
子供の産めない女性との結婚も。
結果的にパキスタンで重婚する人多数。

偽装結婚、ペーパーマリッジ
相手は日本滞在ビザ所有の
フィリピン、中国、韓国、ロシア女も。



妻名義で借金、踏み倒し。
子供をパキスタンへ連れ去り。
イスラム教育名目で妻子をパキスタン送り。
男は日本で女遊び。

永住許可取得後
生活費支払い拒否やDVで
離婚強要。

すでに重婚していたり、
離婚成立後パキスタンで結婚。
嫁、子供を招聘(偽装の子供もあり)



この時点で彼等には正式なビザあり。
パキスタン人はパキスタン人を増やします。

親族や従業員名目を招聘。
子供の結婚相手を招聘。
偽装もあり、金銭やり取りも。

従業員名目であれば、
会社ビザではなく(金銭支払い発生の為)
独自のビザを求める。
その矛先は
日本人との結婚ビザまたは起業ビザなど。
日本人と結婚することのメリットとして、
生活基盤のある女性との結婚は
経済的負担が軽い。
保証人になってくれる。
故に、専業主婦の女性を選ばなくなった。

ごまちゃんさん相談の男は
中古車の仕事をして、日本語が不自由、
若さなどから、この筋なのでは?
と思いました。



上記のツテが無いパキスタン男は
偽装難民として、来日。
ネットでの出会い系で、来日。



最近の若いパキスタン男達は
スマートに女を騙して、
家族を養う覚悟もなく
ただ私腹を肥やしている。


最近の不良外国人情報お持ちの方は
教えて下さい。




















坂下に放置されたグレーのカゴ。


あの日、自転車がないことに気づいた私は、
自分を疑った。

あのスーパーに置き忘れてしまったに違いない!
私のことだから、あり得るのだ。

行くはずのパン屋には、
あのスーパーに寄って、
青いサビた自転車に乗ってから行けばいい。

自分の間抜けさを
小さく笑いながら、歩いた。

でも自転車はなく、
ただ遠回りしながらの買い物になっただけだつた。

帰り道、坂下にあのグレーのカゴは
放置されていたのに、
私のだとは気がつかなかった。

自転車がなくなった時に
私は自分を疑った。

自転車泥棒は
あのサビた自転車を盗んだばかりか
工具を用意し、
そのカゴと取り付け部品を投げて行ったのだった。


特に後進国の若い男との歳の差のある結婚。
妊娠できない年齢の女性たち。

騙す側は用意周到。

オンボロ自転車のカゴですら、
綺麗に外し、
必要な物だけを持ち去って行く。

それはピザ?金?滞在資格?

もし最悪なことがあったら、
自分に非があると考える前に、
相手を疑って。

私達が思うより、
そいつらは、長けているから。

母の夢をみた。
童謡を唄う母と手を繋いで歩いていた。

娘は母の誕生日に
同じような夢をみたと言っていたっけ。

コロナ陽性だった友達。
その連絡で
娘は自宅待機をしています。

昨日の昼は
ツナのホットサンド。
切り落としたパンの耳は、
パン粉の為に取って置いた。

今朝はフレンチトーストを焼いて。
私は残った卵液に昨日のパンの耳を
ひたして、
バターで焼いた。

そんなことで、
満ち足りる私。

母親になったんだな。

あと数日したら、
夫かパキスタンから帰国します。




夫がアフリカ人と待ち合わせしたのは
午後1時。
家から5分で行ける所。


パキスタン人の時間のルーズさは、
よーく知っていたけれど、
そのアフリカ人はその上をいっていることを

昨日夫から聞いていた。



午後1時に間に合うように、
夫と昼食を始めた12時30分に
到着の電話。

10分後に行くと答えて。

私には全く関係ないのだけれど、
慌てて食べる私。

隣でテレビを観ながら食べる夫。

 

急がなくていいの?と聞こうものなら、

更にゆっくり食べるだろうし、

急がなくていいとベラベラ喋るのが

わかっているから、

ああ、その時間すらもったいない。


シャカシャカ私は自分が完食したぞ

アピールをしている隣で、


夫はゆっくりと水を飲んで、

やっと、席を立った。


もちろん午後1時には到着できたはず。


人を待たせているという罪悪感に

苛まれたのは、関係ない私だった。




ずっと前に書いたけれど


カラチの炎天下の屋上で

壊れてしまった洗濯機。


洗濯機が動いていても、

脱水槽がないから、

全身水浴び状態のお手伝いさん。


彼女の労力が更に増すのは目にみえるから

居ても立っても居られなくて、

お手伝いさんの労力を減らしたくて

階下の兄嫁に洗濯機を借り、

弟に頼み屋上へ運んでもらった。


やれることをやり遂げた私が見たのは、


日陰でおしゃべりしている

妹とお手伝いさんでした。


そうです。

私も変わっていないのです。