ブログを引っ越ししてきたので これまでの子宮内膜症の経過をまとめ直してみました♪ |
それでは、結婚後からのことを書きます。
1999年1月 挙式
1999年4月 イタリアへ新婚旅行
ナサニール(点鼻)により、
ほてりや多少の更年期症状があったものの
激痛に襲われることもく、
無事に挙式&新婚旅行ができた。
1999年6月 退職
2000年
血便(タール便)も出るし、
腹痛、排尿痛、排便痛なども激化。
実家に帰っていたときに、また激痛が走り、
当時の主治医に相談し、救急車にて搬送。
※臨床診断された病院で受け入れができないといわれ
別の病院へ搬送となった。
「子宮内膜症です」と言うと、
内科女医に「赤ちゃんができたら治るのにねえ」と
いい加減且つ、非常識なことを言われ、なさけなかった
内膜症だと言っているのに
婦人科のDr.には診てもらえず。
「婦人科の医師にきいても、
そういう症状はでないっていっているから
とりあえずレントゲンをとりましょうね」と・・・
寝ているのもしんどい私を車椅子に乗せ、レントゲン。
挙句の果てには「便秘ですね~」といいのけ、
浣腸をされる・・・
当たり前だけどラクになることはなく、
衰弱しただけで帰った。
※のちに、東京の大学病院で
腸管内膜症もある!とわかったときには
「やっぱりね」と自分の診断にハナマルをつけてみた
2000年7月
kenちゃんの東京転勤で千葉へ引越し。
2001年7月10日
弟のススメで、都内の大学病院に通院開始。
2001年
内診および、超音波、MRIにて
子宮内膜症(腸管子宮内膜症および、内膜症性のう胞)
と臨床診断。
2001年9月
kenちゃん左精索静脈瘤(大学病院、医師推定)
自宅にわりと近い、系列の総合病院へ紹介される。
2001年11月18日~23日
子宮内膜症による腹痛にて、近隣の病院へ入院。
海外で多数の腹腔鏡下手術(ラパロ)数をもつという、
超傲慢で最悪のS医師に出会う。
看護師は腕がいいらしいと自慢するが
絶対にこの医師の手術は受けたくないと思った。
2002年1月
kenちゃん 左精索静脈瘤根治術
zumi ラパロにむけ、中用量ピル服用。
2002年4月5日~18日
大学病院に、腹腔鏡下手術(ラパロ)のため入院。
腹腔鏡下癒着剥離、のう腫摘出
S状結腸部分切除。
腸管部分切除があるため、
産科&外科の共同手術。
入院費、手術費など合計=230,720円(健康保険適用後)
2002年12月~2003年5月
父の看病のため、実家へ戻る。
3月25日、父永眠。
2003年8月1日~5日
2001年11月とは別の近隣病院へ入院。
月経時の急性腹症ほか。
2003年9月4日~9月8日
前月と同じ病院へ入院。
急性腹症・過喚起(過呼吸発作)
薬剤師に不安や過呼吸などの症状を訴え、
医師と相談し、不安に対する薬をもらう。
この夏あたりから、パニック症状がでるようになった。
エレベーター、劇場内、電車内などで
動悸や気分が悪くなったり
ひとりで出歩くことに、強烈な不安がある。
2003年12月13日~24日
大学病院にて
2度目の腹腔鏡下手術(ラパロ)のため入院。
腹腔鏡下癒着剥離、病変切除術。
2005年8月2日
K大にて、体外受精の準備スタート♪
2006年09月19日
子宮鏡検査⇒結果は良好
2008年8月
旦那さんの転勤(東京→広島)で引越
2008年10月
東京の大学病院で7年間お世話になった
主治医からの紹介状を持って
こちらで診ていただく病院へ転院!
2008年12月
子宮癌検査:細胞診
(子宮内膜症を診てもらっているK病院にて)
異常なし
卵管水腫、エコーで確認。
子宮の中も水がいっぱい
このままじゃ体外受精できないので
治療か手術か検討中です!
いつも応援クリックありがとうございます。 すごく励みになっています たくさんのステキな仲間に出会いました! 励ましあい、刺激を受けながら 心を支え会えるみんなと出会えて感謝しています。 子宮内膜症&卵管水腫… 向き合えた時初めて気持ちが楽になれました。 自分ひとりじゃないですもん。頑張れる! 30代も折り返しの36歳! ずっと若々しくいれるように日々を楽しみます♪ |