錦織圭の進化の過程 | バレー・テニス中心のスポーツブログ

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おはようございます。


バレー・テニス/計100kgダイエット・美容講座

島根県 松江市 出身の男子プロテニス 選手。IMG ニック・ボロテリー・テニスアカデミー 所属。開星中学校青森山田高等学校 を卒業している。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。


バレー・テニス/計100kgダイエット・美容講座

【ジュニア時代】


5歳:テニスを始める

10歳2001年全国小学生テニス選手権大会 で優勝

12歳2003年IMG ニック・ボロテリー・テニスアカデミー日本テニス協会 会長・盛田正明 が運営する「盛田正明テニス・ファンド」対象選手となり留学するため渡米。以降アメリカ合衆国 フロリダ を活動拠点としている。

13歳2003年 は「オレンジボウル選手権 」14歳以下の部で準優勝

14歳2004年 には男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップ三橋淳喜多文明 と共に日本代表として出場。前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。

15歳2005年 には10月の世界スーパージュニアテニス選手権大会ジェレミー・シャーディ との準決勝まで進出。この大会では三橋淳 と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。

16歳2006年ピーター・ポランスキー (カナダ )と組んで出場した1月の全豪オープン 男子ジュニアダブルスでベスト4進出の好成績を収めるとエミリアノ・マサ(アルゼンチン )と組んで出場した6月の全仏オープン 男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会 ジュニアダブルス優勝の快挙。男子ジュニアシングルスでも8強に入る。

※この大会の男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダルスペイン )が、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラースイス )として錦織を指名し話題を呼んだ。

※またこの年からジュニアサーキットと並行して本格的にシニア大会にも出場するようになり、この年はフューチャーズ大会で1優勝、2ベスト4の成績を収め、シングルス年度末ランキングを603位で終了。この時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。


【2007年】17歳

3月マイアミ・マスターズ のジュニア部門として開催されているルキシロンカップ に第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーン を6-7(2), 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラー の練習相手を務めた。まさかこの時に、2011年10月のスイスバーゼル大会の決勝でロジャーと戦うとは思ってもみなかっただろうな^^

7月インディアナポリス で行われた「RCA選手権」シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャ (コロンビア )を6-4, 6-3で、2回戦でミヒャエル・ベラー を6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATP ツアーシングルスベスト8を決める。

9月:日本に帰国し記者会見を行い、10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[2] 。翌10月のジャパン・オープン でプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪 と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。


【2008年】18歳

2月17日 :錦織はアメリカ・フロリダ州 デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際テニス選手権 」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレーク (アメリカ )を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年 4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造 以来16年ぶり2人目の快挙。

4月28日:錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。

6月 ウィンブルドン 前哨戦のアルトワ選手権 では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダル (スペイン )と対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている)。

ウィンブルドン で初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。マルク・ジケル (フランス )との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え途中棄権による敗退となった。

8月:北京オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラー (ドイツ )に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。

9月全米オープン では世界ランク32位フアン・モナコ (アルゼンチン )を6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、2005年鈴木貴男 以来の日本人4大タイトル一回戦突破となった。3回戦では当時世界ランク4位ダビド・フェレール (スペイン )を相手に6-4, 6-4,4-6, 2-6,7-5で奪い、勝利。男子シングルスでの4回戦進出となった


【2009年】19歳

全豪オープンは一回戦で第31シードユルゲン・メルツァー に敗退(5-7, 2-6, 1-6)したが、大会後に発表された2月2日付の世界ランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。

しかし、ここからが苦難の連続。

5月:右ひじの疲労骨折が判明し、6月ウィンブルドン、8月全米オープンと連続して欠場。

7月アメリカでは疲労骨折と診断を受け、回復を待っていたが、なかなか痛みが取れないため、第2オピニオンを聞くため、日本に緊急帰国。そうすると何と疲労骨折でもなく、右ひじの軟骨が原因だった。

8月右肘の内視鏡手術を受け、残りのツアー全試合を欠場


【2010年】20歳

3月:ATPのランク下のツアーのチャレンジャーで復帰(2009年3月以来1年ぶりの大会)

5~8月:なかなかATPでの勝ち星に恵まれず

9月全米オープン に予選から出場、本選でも3回戦進出。


【2010年】21歳


2月:デルレイビーチでベスト4進出

4月全米男子クレーコート選手権 では世界ランク11位のマーディ・フィッシュ (米国)を6-3, 6-2のストレートで、準決勝では第7シードのパブロ・クエバス (ウルグアイ)を6-3, 7-5のストレートで下し決勝進出、準優勝。世界ランキングを自己最高の47位に浮上

5月全仏オープン では2回戦で進出

6月:前哨戦のバーミンガム大会でベスト4進出

7月肩の怪我のため、1か月ほど離脱

9月:全米オープンでは腰痛のため2回戦で棄権

10月:上海オープンでは2回戦で世界ランク8位ツォンガ と対戦し2‐1で勝利。3回戦では48位サンチアゴ・ヒラルド 、準々決勝では当時世界19位ドルゴポロフに勝利し、ベスト4進出。

11月:スイス・バーゼル大会では、1回戦で世界ランク7位のトマーシュ・ベルディハ を3-6, 6-3, 6-2の逆転で下し、準決勝では同1位のノバク・ジョコビッチ を2-6, 7-6(4), 6-0で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である。決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していたロジャー・フェデラー との対戦が実現するも、1-6, 3-6で敗れ、準優勝となる。2008年4月から所属契約を結んでいたソニー との契約が終了した。


【2012年】22歳

1月:全豪オープンでは現行ランキング制度導入の1973年 以降の四大大会で、日本人男子シングル選手として初めてシード権 を得て、第24シード。前哨戦では世界ランク6位ツォンガ と同16位ロディック といった強豪相手に勝利。本大会では3回戦で同39位ジュリアン・ベネトー (フランス)に4-6, 7-6, 7-6, 6-3で勝利、続く4回戦でまたもやツォンガを2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3のフルセットで破り、ベスト8に進出!!全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、佐藤次郎布井良助 以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、1995年のウィンブルドン選手権の松岡修造のベスト8以来17年ぶり。このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられ、「The rising son(急上昇の男子)」と呼ばれる。

<混合ダブルス>クルム伊達公子 とペアを組み、1回戦で昨年の全米オープンで準優勝したエドゥアルド・シュワンク、ヒセラ・ドゥルコ組を破ったが、2回戦で敗退。しかし日本中のテニスファンの夢のドリームチームで、また機会があれば組んでほしい。ロンドンオリンピックでも見たい!!


これで世界ランクも20位まで上昇。テニス内容が素晴らしかっただけに、今年中には世界ランク10位以内入りは間違いないと思います。


ただし、全豪オープンの準決勝トップ4対決の世界1位ジョコビッチ×世界4位マレー、世界2位ナダル×世界3位フェデラーを見ましたが、凄かった。平均ラリーが10本以上、30本・40本ラリーが平気で続く。トップ4以外ならウィナーのショットもなかなか決まらない。それほどオフェンスとでディフェンスのバランスと体勢が崩れても体幹があるので、十分に打ち返せるフィジカルが凄かった。もう2試合共に超絶試合です。


このトップ4に勝つためには、驚異的なフィジカルトレーニングと1STサーブでポイントをとるというトレーニングをしない限り、勝てないでしょう。3セットマッチなら可能性はありますが、5セットマッチで更にグランドスラムとなると、7回勝つ必要があります。更に4人もトップがいるため、準々決勝からトップ4のうち3人を倒さなければなりません。


今年は無理だとしても、来年以降フィジカルが十分にできてきたときに、チャンスが来ると思います。恐ろしいほどのトレーニングを積まないといけないでしょう。でも錦織選手なら必ずやってくれるはずです!!


期待しましょう!!長文おつきあいありがとうございます。ブログの中で最も疲れたかも^^


IドキドキTennis!!





元世界ランク1位のアンドレ・アガシを指導したラッド・ギルバート をトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。1月ユニクロ と契約。エアセル・チェンナイ・オープンから使用。1月17日から全豪オープン で日本男子では46年ぶりの3回戦進出

ATP ランキング自己最高位はシングルス24位、ダブルス183位。これまでにATPツアーでシングルス1勝を挙げている。

全豪オープン開催中で、錦織選手の活躍の特集がスポーツ番組でひっきりなしにありますね。とても嬉しいことです。でも錦織選手は、順調に成長したのではありません。もしかしたら、あと2年早く、20歳にこの活躍ができたのかもしれないと思ってしまいます。その理由は、これまでの経歴を追いながら表現したいと思います。