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2010年02月23日

和歌にこめられた真の意味:在原業平。

テーマ:日本文化

『世の中にたえて桜のなかりせば
 春の心はのどけからまし』


この歌は在原業平が惟喬(これたか)親王と共に水無瀬にある親王の宮に出かけた時の歌。

一般的には、
『この世の中に桜さえなければ、花が咲いたの散ったのと気にせずに生活できる、そうであればどんなにのどかに暮らせることか』
といった内容ですよね。


ところが、、、


桜という漢字は元々『櫻』と書かれていて、
これは『二貝(階)の女が木(気)にかかる』『貝の首飾りを身に着けた女の人』という意味があるよう。

つまり、桜に『女性』をも同時に読み込んでいる=『世の中に女性さえいなければ・・・』となる。


同じく『古今和歌集』の

『年経ればよはひは老いぬしかはあれど
 花をそ見ればもの思ひもなし』

の詞書きに

『染殿后(そめどのきさき)の御前に、花瓶に桜の花を挿させたまへるを見てよめる』前太政大臣

とあるが、ここでの『前太政大臣』とは藤原良房。

当時天皇家に次々の自分の娘を送り込み、天皇家のっとりを図った人物だ。

そして『染殿后』とは良房の子、明子(あきらけいこ)。

つまり、この歌の真意は

『私の娘が文徳天皇の中宮となり、そして惟仁親王=つまり後の清和天皇を産んだ。私自身はすっかり老いてしまったけれども「桜=明子」を見ていれば、これからの藤原氏に関して、何の憂いもないことよ』

ということだ。



また、当時の『世の中』とは、世間一般ではなく、『宮中』のことを指す。
「人」とは、昇殿が許されたような身分の高い人であり、庶民は「人」ではない。

つまり庶民は『世』の外。だからこの歌は『世間に桜がなければ』ではなく、『宮中に桜(=女=明子)さえいなければ』。


よって、

『世の中にたえて桜のなかりせば
 春の心はのどけからまし』

の歌には

『宮中に明子さえいなければ、どんなに穏やかなことだろう』

と藤原氏批判の歌でもあるという裏の意味も含まれているそうです。

(参考:『毒草師』 高田崇史)


日本の文化って知っているようで、知らない。

非常に奥が深いですね。。。


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