神様と暮らす家そだて

家族の健康をまもり、言霊の幸わう家づくり。
家族と日本と地球の”健やか”をはぐくむ
うやまう暮し。


テーマ:

神社是川石器時代遺跡(青森県)633番目

 

国宝の合掌土偶土。

 

竪穴式住居の中から、このような形で発見されました。

アスファルトで接着されていて、大切に使われていたことが説明されています。

 

祈りの表情も見て取れます。

半眼で一心に集中して他を顧みていない感じ。

 

この土偶をみて不思議に思ったのは、衣装もさることながら口に何かつけてる?

あと、祈るとしてもこのスタイル?ということ。

 

ボランティアの案内人は「座産」の姿ではないかといっていました。なるほど。それならば納得かも。それでちょっと座産について調べてみると平安時代の絵巻物に出産の様子が描かれていると思えば、昭和の初期ごろまで産屋というものを建て7日7晩泊まるとあとは壊したという習慣があったという地域までありました。

 

ホツマツタヱにもお産の後先の様子が描かれている部分が二つぐらいあったと思います。

トヨタマヒメがウガヤフキアワセスを生んだ時と、コノハナサクヤ姫が三皇子を生んだ時の記述です。

 

ホツマツタヱ24あや

ふそみちて みなつきはつひ

みつこうむ そのゑなのあや

むめさくら うはなとかわり

あやしめは きみにつくれと

かえなくて ひめはすそのに

うつむろし めくりにしはの

かきなして ははこちかひて

なかにあり あたたねなたは

ほろひんと ひおつけやけは

あつかりて はいいてんとす

みねのたつ みつはきかけて

ひとりつつ みちひきみこお

はいいたす もろとおとろき

ひおけして ひめひきいたし

みこしもて みやにおくりて

みこにつく

 

「コノハナサクヤ姫が孕んだのはキミの子ではない」

そのような姉の讒言に、不思議なあやなす胞衣のしるしも無視した冷たい夫に対して、どのようにアダ種でないことを証明できるのだろう。

土を掘った中に、三つ子諸共に入り出口をなくして周囲に巡らせた柴垣に火をつけるという暴挙に出たのでした。富士山にいる龍が水を吐きかけて火を消し子供たちを順に外に出しました。ヒメは火事に気付いた人々に助けられて宮に返されました。

 

子供たちが神に守られたこと。それこそがアダ種でないことの証明であると、誰もが認めたのです。それで子供を守り育てた女神としてコノハナサクヤ姫は今でも崇敬されているのですね。

 

住居ではなく産屋を別に造って壊すなり燃やしたりする風習の原型がここに見られます。

それは生まれる子の正当性を証明し、運のよい元気な子らを育てるための一種の儀式だったのではないでしょうか。

 

・・・しかし、コノハナサクヤ姫がこの土偶のような様子をしていたとはちょっと考えにくいんですが。コノハナサクヤ姫の場合は産屋というよりは生まれてから入ったのですしね。

 

 

ホツマツタヱ26あや

きさきはらみて つきのそむ

かれにあとより かもおして

きたつにゆかん わかために

うふやをなして まちたまへ

かれまつはらに うふやふく

むねあわぬまに かもつきて

はやいりまして みこおうむ

かつてはいすも みゆもあく

うかやのゆとは このはなの

しろきかにさく こはうのめ

またあまかつら いまみこの

かにつははけは ここもあり

すせりみやより みゆすすめ

まくりとともに かにおたす

 

ここにはトヨタマヒメの出産時のことが書かれています。

すでに産屋で生むことは普通だったようです。

トヨタマヒメは夫のいるキタツにたどり着く直前で産気づいたらしく、生んだ時は産屋の屋根がない状態でした。

カツテとは勝手守のことです。葛城一言主の息子で産科医ですね。この方がウガヤフキアワセズを取り上げたのです。この時に産湯と椅子?を用意しています。椅子ということはやはり座産だったのでしょうか。

 

有名なお話としてはこのあと、中をのぞきたくなった夫のホホデミが覗くとトヨタマヒメは恥ずかしくてもう二度と御前には上がれないと、貴船神社ににげて暮らしたという件です。

日本の昔話には事実に衣を着せて隠されているようです。

 

出産のときのお守りだったかもしれないですね。

 

けれども、このお顔の平べったさは、何か、面をつけているようにも見えます。

宇宙服を身に着けているようだという説もあります。

縄文の叡智は宇宙からもたらされた、と。

 

たくさんの土偶が展示されているのですが、

こんな可愛いのとか、

 

マダムとか、

 

いわゆる遮光器土偶もたくさんある中で。

 

このお顔。

 

土器はデザイン性が高く、バランス的にも大変美しいものが多いです。

 

現代でもむつかしいとされる漆塗りの籠なども出土しています。

 

八戸のこの辺りには海岸線にもかかわらず貝塚はないようですね。

海洋文化であった三内丸山遺跡の方とはその辺で違いがあるようです。

 

土偶などの形状も、かなり違いますからね。

 

 

合掌土偶のそばで、一瞬とどまってみました。

こみ上げるものがありましたね。

敬虔な気持ちに同化したのでしょうか。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

神社浴ナビ TAAKOさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。