神様と暮らす家そだて

家族の健康をまもり、言霊の幸わう家づくり。
家族と日本と地球の”健やか”をはぐくむ
うやまう暮し。


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神社武蔵一宮氷川神社(埼玉県)605番目

 

氷川神社入口交差点のところにある鳥居。
これがいちのとりいだと思ったらそうではないらしい。。。

さいたま副都心駅から2キロの参道は日本一だとか。

 

こっちは境内に続く鳥居です。

宗像神社。605番目。

祭神 多起理比売命、市寸島比売命、田寸津比売命

 

いわゆる宗像三女神、ホツマツタヱによるとアマテルカミの三人娘です。

神の棲む見沼の名残、神池に鎮座しています。
清々しい、浄化スポットといわれています。

 

 

稲荷神社。606番目。

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

 

 

 

松尾神社。607番目。

祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

 

楼門をくぐると

 

神楽殿があり、

 

大樹に守られた広々とした境内が広がります。

雨が降りそうな早朝でちょっと暗いのですが、ジョギングやウォーキングがてらの参拝者でにぎわっていました。

氷川神社。608番目。

祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
    稲田姫命(いなだひめのみこと)
    大己貴命(おおなむちのみこと)

 

5代孝昭天皇3年4月末の創建だそうで、相当な古社です。大和朝廷が次第に関東に威信を広げると同時に北関東の総社として国土経営・民福安昌祈念のために出雲から勧請したのです。

その後、12代景行天皇の御代、関東平定のために訪れたヤマトタケがここに寄り祈願をしているそうな。

当地、埼玉という名の由来は幸魂、奇魂のことだそうです。

2016年の初詣には約215万人が訪れ全国9位となっている日本でも有数のお社です。

13代成務天皇の御代、出雲族の武蔵国造が赴任して崇敬し、興隆したとのことです。

 

須佐之男命は、いわゆる三貴神の1柱。白川神道でいう言霊百神のなかの百番目の神様で、特に重要な役割があるといわれています。道を切り拓く・運用する創造力、ダイナミックな発展をもたらすといわれています。一度シタタミに落ちてタカマに復帰したので失敗を祓い根の国に吹き送った後再びよみがえる道を示す神でもあります。

 

稲田姫命はそのアゲ妻ですね。稲田姫をヤマタノオロチから救い出して結婚し、北陸のハタレを討ってシタタミからタカマに復帰を遂げ、大己貴命ら国造りの祖ともいえる神々を夫婦でもうけました。アゲ妻そのものですよね。夫を世の迷妄から救い出し、日本のお役に立つ大物に育てたい女性はお参りするとご加護が得られ、あげまん度を高められるかもしれません。

稲田姫はソサノヲの姉のワカヒメから八雲打ちという奏法を伝授されています。

 

ソサノヲがハタレを討って八重垣旗を賜り再びタカマに返り咲きしました。さほこ国は出雲国と名を変えたのはその時でした。そして、

 

ホツマツタヱ9あや

あめはれて うやまひもふす

くしひより すかはにきつく

みやのなも くしいなたなり

さほこくに かえていつもの

くにはこれ あめのみちもて

たみやすく みやならぬまに

いなたひめ はらめはうたに

 

やくもたつ いつもやえかき

つまこめに やえかきつくる

そのやえかきわ

 

このうたお あねにささけて

やくもうち ことのかなてを

さつかりて うたにあわせる

いなたひめ ついにくしたえ

あらわれて やえかきうちの

ことうたそ

 

ソサノヲとイナタヒメの新たな宮をクシイナダといいます。宮が完成する前にイナタヒメは子を宿したとき歌を詠みます。

夫が国を守り、妻に宿った子の”国体造り”をつくり守ります。

国の栄えよ永遠に続け、とのイナタヒメの思いが伝わってきます。

この歌をソサノヲは姉のワカヒメに捧げます。

すると、ワカヒメは八雲打ちを伝授するのでした。そしてイナタヒメは習った八雲を打って、まことに妙なる奏でを顕すこととなりました。そうして奇跡ののような奏でを聞きながらオオナムチは母のお腹の中で育ったのです。

 

さて境内社です。

 

境内を出て右側には稲田姫のご両親がおられます。

門客人神社。609番目。

祭神 足摩乳命

    手摩乳命

 

出雲の地にヤマタノオロチが出没し、アカツチ(ナカツツヲ)の娘ハヤスウヒメ、アシナツチの娘らが次々と殺されます。殺されたのはソサノヲの嫁候補に名が挙がったヒメたちでした。ソサノヲがまだアマテルカミの弟としてタカマにいたころ、アマテルカミの妃の一人であるハヤコと仲良くなりました。許されざる関係を知った内宮のセオリツ姫がハヤコらを宗像へ蟄居させたのです。

その扱いに怒りの炎を燃やし、ソサノヲの嫁候補への嫉妬と相まって恐ろしいオロチと化したのです。ハヤコがオロチと化したのはわが身の不徳の致すところと、ソサノヲはオロチ退治によって、最後の娘稲田姫を救い、嫉妬に焼かれたハヤコの魂をも救ったのでした。

アシナツチはアカツチの兄弟ともいわれています。

 

御嶽神社。610番。

祭神 大己貴命、少彦名命

 

オオナムチはソサノヲの息子で、スクナヒコナはトヨケ神の孫にあたりますから、アマテルカミとは同世代になります。オオナムチは子世代ですね。どういうご縁でかはわかりませんが、この二人で全国を巡り農耕のことや病気直しなどの知恵を教えて回ったのです。

 

六社。左から

住吉神社  底筒男命・中筒男命・上筒男命 611番目

神明神社  天照大神 612番目

山祇神社  大山祇命 613番目

愛宕神社  迦具土命 614番目

雷神社   大雷命   615番目

石上神社  布都御魂命 616番目

 

摂社天津神社。617番目。

祭神 少彦名命

 

 

今回、縄文の旅で青森・秋田にここから向かうわけですが、旅の前になぜここにお参りすることになったのか。それはどうやら必然だったようです。

 

という理由は、門客人神社の由来にあります。江戸時代の境内絵図には「荒波々幾(あらはばき)社」となっているというのです。「門客人」とはクシマド・トヨマドを祀るのが一般的であり、つまりは「荒波々幾(あらはばき)社」とは同一とみられることが多いのですから、実際そうであったのでしょう。そして、実は出雲族が祭祀を行うようになる前には、地主神として荒波々幾神がいたのだともあります。

 

アラハバキ神は蝦夷の祖神として祀られたということですが、伊勢神宮にも祀られているとか。アマテルカミは譲位を受ける前はヒタカミにいました。ヒタカミのトヨケ神は東の君だったのです。そして天御中主神祀ったのです。時代が下だりヤマトタケの時代には正しい情報が伝わらず、津軽シマツミチヒコとミチノクはまつろわぬ国となっています。けれどもキチンと話すことにより話し合いで決着をつけた、とホツマツタヱにはあります。シマツミチヒコとはオオナムチの子孫です。ご先祖様をお祀りしたでしょうから、アラハバキをオオナムチと同一神だとする砥鹿神社を信じていい気がします。ただし、オオナムチの荒魂がアラハバキということです。

 

縄文海進といわれる海面上昇のピークは紀元前4000年ごろとわれています。

当時は現在の地形より海が深く入り組んで、氷川神社あたりは広い範いぜで広がる湖沼岸に鎮座していたといいます。見沼もほかの沼とつながっていて、氷川神社の神池はその一部だそうです。氷川神社の創建は紀元前5世紀ごろということですが、海岸沿いにあったとするならばもっと昔から存在していたことになります。神社周辺には縄文中期の遺跡が出てきていますし、当時から何らかの祭事は行っていたはずです。

 

三内丸山遺跡は、昔の斎場ではないかといわれることもあります。

大きな道路を作り、それに沿って亡くなった人を埋葬していました。

300名ぐらいは入れる大きな建物跡が残されていて、当時の人々の技術・文化度が大変に高いものだとわかっています。この文化を作った国の祖がカシマタチで津軽に国替えとなり「カルキミ」「ヒスミノキミ」と呼ばれたオオナムチであるとしたら、オオナムチは紀元前5500年ごろ出雲の地からここにやってきたということになります。ウツシクニタマとして亡くなり、岩木山に祀られました。「あら」は荒、もしくは顕。「はは」は大蛇。「き」は「気、木」。そうすると人々はオオナムチの本体を見ていたのかもしれませんね。

 

当時、ありえないほど大きな建造物を建てたりできたのは合議制のたまものであり物言わずとも以心伝心が可能であった人々の総力いかにが豊かな暮らしを可能にするかということを遺跡や土偶たちは教えてくれます。

 

で、もともとアラハバキ神が祀られていたところに、親である須佐之男命に祭神変更することにどんな意味があったのでしょうか。時代は折しも縄文時代から弥生時代への移り目です。

渡来人の文化が流入し、弥生人との混交が進み始めたところです。大建造物を作ったり、合議制で富の集中もない、民度が高く優しく楽しく持続可能な社会を築いた叡智はここから失われていきます。「漢字以前日本に言葉はなかった。文字は漢字から派生した。」とまことしやかに語られていますが、それは「とよまど」「くしまど」を封印されたからなのではないでしょうか。「とよ」とは5(母音)+9(父韻)=14(十四)つまり日本語のことで月のシマを守り、「くし」で日のシマを守るといいます。現代人の松果体は退化し石灰化しているのでテレパシーなど使えなくなっているのですが、松果体という「岩戸」を押し開く役割が「くしいわまど」にはあるのだと思われます。

 

「弥生時代」に入り祭神が変わる。それは開放的で以心伝心を地で行く縄文人が「岩戸」を封印し「もともと持っていた日本語」を封印する時代への導入だったのでは。

それは、本当のことを流出させまいとする神意が働いたのかもしれないし、この宝物を封印し日本人を骨抜きにして支配してしまえというどこかで聞いた話の流れかもしれない。。。

 

つい最近砥鹿神社に参拝しました。そして今回の氷川神社参りも、縄文ツアーへの導入だったことは間違いないようです。縄文文化とアラハバキ神は切っても切れない関係にあるように思います。

 

 

 

余談ですが、当社創建後、4~500年たった崇神天皇の時代に二つのお社が創建されます。

氷川女體神社(女体社、主祭神:稲田姫命)と、そしてその二つの社を結んだラインの真ん中にある中山神社 (簸王子社、主祭神:大己貴命)です。この三社を結ぶラインは、冬至の日の出のラインになっているそうです。また、氷川女體神社には御船祭というご神事があり、縄文海進のときは湖であった見沼の中心まで渡御し龍神を鎮めたといいます。後に干拓されしばらくは磐船祭として残っていたそうで、今は斎場だけが残っています。中山神社には火渡り神事があり、神池のある氷川神社と御舟祭があった氷川女體神社を両手「水」、真ん中の中山神社だけは「火」の祭りがあるということで示唆的です。計画的に作られたことは明らかで、しかも特殊な任務を帯びているような匂いがプンプンしますね。オリオン座のベルト三ツ星だという向きもあります。

 

 

 

 

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