現在、知識偏重型から思考力や判断力を多面的に評価する知識活用型の入試に大学入試改革が行われようとしている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014122302000132.html


理念には賛成だが、実際に実行できるのだろうか。早大は10万人が受験するマンモス校であるゆえ、論文や面接なんて到底不可能だ。結局、一定の点数で足切りすることになり、結局、現在とあまり変わり映えしないことになりそうな気もする。それに、面接などでの評価基準も分からない。口下手だが、真面目に粛々と勉強をこなすタイプはおそらく面接の評価は低いだろう。世紀の難問「ポアンカレ予想」を解いたG.ペレルマンは自宅に引きこもり研究している天才肌だが、ニュース映像を見る限り、とても面接入試では良い評価は得られそうもない人だ。こうした才能は面接では評価不可能だろう。逆に嘘八百並べる小保方みたいなタイプの人は大学に入れてしまう。人物評価というのは聞きざわりは良いが、知識偏重からコミュ力偏重に過ぎない気がする。


教育再生実行会議の座長は早稲田大総長の鎌田先生だが、近年の早稲田大は上手くいっているのだろうか。AO入試で入った小保方晴子氏によるSTAP細胞捏造論文事件、大量のコピペ博士問題は記憶に新しい。他にも法科大学院は志望理由を重視した入試を実施したが、実績が低迷(結局、既修者重視に切り替えて徐々に実績は回復している)。院の重点化はいいが、結局、研究意欲のない学生が入学し、学部を緩くした感じになっている。同じ演習の人の発表を聴いていても、基礎知識がないのでそもそもテーマが意味不明だし、検証方法も基礎的な作法をふまえていないので論文の体をなしていないものが少なくない。しかし、卒業させないわけにはいかないので粗悪な学位が支給され、実質的にディプロマミル化している。正直、早稲田大は迷走していると思う;結果、W合格の場合、慶應に流れる人が増えている。日経BPの大学ブランドランキングでも慶應に水をあけられつつある。


センター試験も廃止されるが、こうしたタイプの試験だからこそ、日々勉強する習慣を身につけられるし、幅広い知識を獲得することが出来る。1点採点に問題があるなら、センター試験自体は存続して、評価をA~Fぐらいでランク付けしたらいいのではないか。こうした一連の入試改革は、米国型の入試を参考にしているようだが、そうだとすれば、米国のように中退率を上げないと大学の質は保てない。入口で絞らないなら出口で絞るべきだろう。GPA 1.5未満は強制退学ぐらいのペナルティがなければ、大学入ってから勉強なんてしない。米国型入試は入学後の成績評価の厳格さとセットだから維持可能なわけで、部分的に導入したら、学生の怠慢を加速させるだけだろう。法科大学院制度が崩壊したように、制度だけ輸入しても拒絶反応を起こし失敗するのが目に見えている。