実楽山田錦 農家さんに聞く!Vol.5 「山田錦は「人」と「心」と「物」を強く紡ぐものです」 | 沢の鶴 実楽repo管理人のブログ

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このブログは、神戸・灘に蔵をかまえる“沢の鶴”が酒米の王様「山田錦」の田植えから、お酒になるまでを一貫してお伝えするブログです。

シリーズ5回目をお届けいたします。
実楽には、なんと魅力的な生産者さんが多いのでしょうか?

さあ~!
「実楽山田錦 農家さんに聞く!」の第5弾

今回は・・・
『“語らいの鉄板”の魔術師』 岩﨑 浩(いわさき ひろし)氏のインタビューです。

実楽の生産者として5人目に登場いただくのは、岩﨑浩様。

実はこの方、毎年沢の鶴社員が稲刈り体験させていただいた後の交流会で、
鉄板焼き料理を作ってくださる方です。
その調理は見事なもので、そこで活躍する厚さ9mm、重さ50kgの鉄板が名付けて「語らいの鉄板」です。
お料理好きでもある岩﨑様に山田錦への思いを伺いました。


~山田錦は「人」と「心」と「物」を強く紡ぐものです~

―岩﨑様は山田錦を栽培されて何年ですか?

 

 少しずつ祖父や父から作業を引き継ぎましたので、
 平成11年ころからほぼ全ての作業を行うようになりました。

 

―岩﨑様は農協の職員でもいらっしゃいますが、地域によって山田錦の栽培方法に
 違いはあるのでしょうか?

 

 地域の差というよりは、山田錦にはそれを育てる人の人柄が出るのです。
 人の心を表すと言ってもいいでしょうね。
 篤農家(とくのうか)と呼ばれ、愛着を持って山田錦を育てる人は、
 肥料ひとつにしても、田んぼの中で肥料の足りないところにこまめに肥料をやるなど、
 田んぼの中に入っています。
 田植えが終わってしばらくして行う「中干し(なかぼし)」はしっかりとやり、
 穂が出ると水を切らさないというような水管理も抜かりありません。
 それができない人とでは田んぼの様子も違います。

 

―お勤めのお仕事と山田錦栽培を両立させるのに心掛けていることはありますか?

 

 山田錦を育てていて、天候の条件は人間にはどうしようもありません。
 水と肥料しか人の手で何とかできる所はないのです。
 ですから毎朝山田錦の生育を見ています。毎日の観察が欠かせないのです。

 

―岩﨑様と実楽営農組合のかかわりについては教えてください?

 

 田植えは自分でやりますが、刈取りは営農組合に、刈取り後の乾燥調製は
 農協の施設にすべて任せています。

 今、米作りは農作業機械なしでできませんが、刈取りに用いるコンバインや
 乾燥調製の施設は価格が高く、コストがかかりすぎます。
 こういうところは営農組合なり農協なりに任せています。

 私の家の田んぼは傾斜地にあり恵まれたところではないので、
 田んぼの間の畔も高く草刈りが欠かせません。
 こういう自分でできる仕事は自分でやります。

 

―山田錦を栽培して難しいと感じるところ、苦労するところはありますか?

 

 やはり、穂が稔ると倒れる難しさがあります。
 倒さずにいかに大きな穂を収穫するかです。大きな穂は丈夫な茎からです。
 丈夫な茎は前年の収穫後に田んぼの土をどう作っていくかです。
 ほぼ1年前から、倒さずにいかに大きな穂を収穫するか土づくりをしているのです。

 

―山田錦を栽培していて今までで一番印象に残っているのは?

 

 失敗した時が一番印象に残っています(笑)。
 夏の暑さが続き、これならと肥料を大目にやるとそのあと雨ばかりで、その年は良く倒れました。 
 それから最近特に問題になっているイノシシの食害や獣害も忘れられません。

 

―お料理好きの岩﨑様が「実楽山田錦」と合うと思われるお料理は何ですか?

 

 「実楽山田錦」は冷やかロックで飲むことが多いのですが、
 脂のあるものに合うと思いますよ、肉とか。
 ところで、女性がおいしいものを食べるとなんというか知っていますか?
 本当においしいものを食べると「幸せ」というんです。
 これを言ってもらうことを目標に私は料理を作っています(笑)。

 

―沢の鶴の商品で一番おいしいと思うのは?

 

 「実楽山田錦」を飲む機会が多いのですが、「吟醸瑞兆」もおいしいですね。
  辛口で。日本酒度で+5から+7位のがいいですね。

 

―これからの沢の鶴に一番期待することは?

 

 ずっと期待しています。
 「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、和食といえば日本酒です。
  世界に向けて日本酒の情報発信をしてほしいですね。

 来年沢の鶴さんは創業300周年と伺っていますが、実楽はいつごろから米作りを
 していると思われますか?
 近くに実楽1号古墳という古墳があり、発掘調査したところ剣が出土しました。
 鑑定したところ弥生時代中期のものだったそうです。
 およそ2000年前から村があったから古墳ができたのです。
 村があったということは米作りをしていたと思います。

 実楽と沢の鶴さんはそんな歴史のある者同士のお付き合いなのです。

 

―最後に皆様にお伺いしています。岩﨑浩様にとって山田錦とは?

 

 山田錦が酒になり、酒が人に飲まれ、おいしさや楽しさを紡いでいく。
  人と人、人と物、人と心、物と物を強固に「紡ぐ」ものだと思います。

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実楽では、なんと2000年前から「米作り」が行われていたんですね…
びっくりしました。
2000年前の人が、この地が稲作に向いていると判断して作り始め、
それをこの地に住む人々が、代々受け継いできたのですね。
まさに「紡ぐ」ものですね。

次回も、どうぞお楽しみに…