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 18日の産経新聞に、小町さんの訃報が出ていた。

 
 ご遺族からの一報を事務局長が受け、それを聞かされてずっと、小町さんの想い出をたどっている。

 小町さんは、兵から叩き上げの准士官だったが、どこぞの方のように、海兵出身士官に対して偏狭な敵意は(好き嫌いはあるにしても)持っておられなかったように思える。

 特に、零戦搭乗員会代表世話人だった志賀淑雄少佐には心酔しておられた。


 以前にも書いたことだが、平成14年晩秋、志賀さんご病気の報に、とりあえずお見舞いがしたいと、田中國義、小町定、操練出身の両氏が、練馬まで来られたことがあった。ちょうど間の悪いことに、志賀さんはお留守であったそうだ。

 待っていれば帰ってこられるかも知れないと、寒風の吹く近くの公園のベンチで二人でお待ちになり、結局、その時はお会いになれなかったという。

 拙宅は志賀さん方のすぐ近くなので、一声かけていただければ拙宅でお茶ぐらいしていただけたのだが。落ち葉の舞い散る公園のベンチで、何時間も帰りをお待ちになっていた田中さんと小町さんの心中とその情景を考えると、切なくて泣けてくる。


 平成18年の「零戦の会」総会に出てこられたのが、公の場では最後になった。
 この時、小町さんはわざわざ居酒屋「天狗」で催した二次会にもお出でくださり、
 「零戦の会には『心』がある。これで私も安心できる」
 などと、いつもの憎まれ口ではなく若い世代の役員を盛んに誉めてくださるので、勿体ないとは思いつつも遺言のような気がして、つい不吉な予感がしたのを憶えている。



 その後、一度だけ練馬光が丘のホテルの中華レストランで、小町さんを囲んで昼食会を催すことができ、小町さんを兄とも慕う山川光保上飛曹(終戦時三〇二空雷電隊、戦後日本航空パイロット)もいらして、楽しいひと時を過ごした。

 大上機嫌で車の窓から手を振る小町さんの姿は何か生気がなく、
 「もしかすると、お会いできるのはこれが最後になるかもしれない」
 と感じた。T事務局長も同じ思いだったらしく、小町さんの乗る車が見えなくなってから、思わず顔を見合わせて小さく頷きあった。

 その予感は、結局的中してしまった。


 志賀さんも田中さんも山川さんもすでに亡く、小町さんもまた。
 いわゆるお齢に不足はないとはいえ、やはりさびしい。




 

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