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 最初は一本の記事にしてみたが、長いので分割。

 大学の教え子で、雲仙普賢岳で殉職した知人のわすれ形見の矢内美春さんの個展のことを、さきほど書いた。

 この6月3日に島原市で行われた、20周年追悼式典に彼女が一家7人で参列した話。

 消防団員の、当時高校生だった遺児が、20年経ってようやく、この事件と向き合えるようになったとか。立場は違っても、遺された者はそれぞれ心に重荷を背負い、口をつぐんで生きてきたという。
 第三者というか、ほんの少し軸足の異なる人にとっては、どうして口をつぐむのかと不思議に思えるかもしれない。
 だが、事件と向き合い追悼式典に足を運ぶまでに20年を要した、いや、向き合うために「20年という節目」を必要とした当事者が、現に大勢いるのである。

 ここから、続き。



 これは、「戦争体験者」にも同じことがいえる。
 私の言う「戦争体験者」とは、実際に戦いそのものを経験した人のことを指す。その当時、銃後で腹を減らしていた人を「戦争体験者」と呼ぶのは日本語として変、というか、もっと別のふさわしい表現があると思うから。

 ともかく、ほんとうに戦闘を体験してきた人のなかには、「戦後50年」の節目に、自らの人生をふり返り、自らの戦いについて重い口を開いた人が、現実に大勢いる。
 その実体験が苛烈であればあるほど、そして、紙一重で生還し、戦友への贖罪の気持ちが強ければ強いほど、その心を溶かすには時間が必要で、そして語るきっかけとしての「節目」が必要だったのである。
 兵隊から叩き上げた人も、海軍兵学校を卒業した正規将校も、学徒出身の予備士官も、そのへんの機微においては、多少の温度差、個人差はあっても共通するものは確実にある。

 ときに、半世紀も経ってからの言葉に意味があるのかと愚問を投げかける馬鹿がいるが、戦争は飛行機や艦船の機械同士ではなく、それらを操る人間同士の戦いである。
 このきわめて人間的な所業について、その当事者が戦後、長く沈黙を守ってきたとしても、それは疚しいことでも卑怯なことでもない。
 そして、それが20年後だろうが50年後だろうが、どの時点であっても、「当事者」がまさに振り返る言葉は、研究者がありがたがる万巻の書物や資料の遠く及ばない領域の話である。


 以下、敬称略。
 戦時中、「竹槍事件」で正論を吐き東条英機を激怒させた毎日新聞の新名丈夫記者は、陸軍に懲罰召集されたのち海軍の働きかけで召集解除になり、第一航空艦隊付の海軍報道班員としてフィリピンの戦場に赴いた。
 新名はそこで、特攻隊の出撃をまのあたりにし、彼らの遺影を、命に代えても守りきる覚悟をもって取材を続けた。
 そんな新名を、米軍のルソン島進行を前に、「出張」の名目で内地に帰したのは、大西瀧治郎中将である。「出張」という名目にしたのは、陸軍に再召集されることを避けるためである。
 結果的に、そのために、多くの特攻隊員たちの最後の姿が、いまに残った。新名が自ら保管してきたそのアルバムの封印を解いたのは、戦後24年が経った昭和44年のことである。
 当事者ではなく取材者の立場でも、封印を解くのに、特攻隊出撃からちょうど25年の歳月が必要だったのだ。

 新名はまた、特攻隊の戦没者慰霊祭にも必ず出かけた。一航艦副官だった門司親徳主計少佐の『空と海の涯で』と、予科練出身の特攻隊員だった角田和男中尉の『修羅の翼』という、戦記には数少ない、正真正銘の本人の筆による2冊の名著は、新名の助言なしでは生まれなかった。

 新名は門司に、
 「I was there、自分はそこにいた、その視点で一貫しなさい」
 とアドバイスし、角田にも、
 「自分の見たこと、経験したことだけを書きなさい、よいとか悪いとかは読者が判断するのです」
 という趣旨のことを言っている。

 身寄りのなかった新名が病床に伏したとき、つききりで看病したのが、門司、角田、そしてかつての特攻隊員たちだった。新名の遺品の取材資料は門司が保管し、いまは託された私と、NPO法人「零戦の会」の元にある。


 ・・・・・・と、何が言いたいのかというと、「I was there」より強いものはない、ということである。
 人の記憶には間違いもあるかもしれない。だが、「記録」にも誤記や改竄の例はたくさんある。
 戦争が人間の所業である以上、当事者の証言というのは、絶対に無視できないはずだ。
 

 事実上、私の取材に対して初めて、ご自身の戦争体験と人生を洗いざらい語った当事者は数多い。飛行機搭乗員だけでも、進藤三郎少佐、志賀淑雄少佐、大淵珪三少佐(以上海兵)、原田要中尉、中島三教飛曹長、小町定飛曹長・・・・・・。
 皆さんあっさりインタビューに応じてくださったわけではなく、日高盛康少佐、渡辺秀夫飛曹長のように、数年越しに、何かの区切りがあって初めて逢ってくださった人もいる。

 当事者の「I was there」を、本人に代わって文章にするわけだが、もちろん、私の力至らず、その人たちの想いを最初からうまく表現できたかどうか、それは証言の大切さとは別の次元の話である。

 これからも、可能な限り取材活動を続け、表現力、文章力を磨き、より人々の「思い」を形にすべく努力する所存である。


 もちろん、インターネット媒体などという実体のないものやタダで垂れ流される情報、数少ないマニアやライトウイングな人だけが喜ぶものでなく、あくまで「印刷商業媒体」として、少なくとも万単位の一般読者層に向けて、である。







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