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 親しくお世話になっている予備学生13期の元零戦搭乗員・小野清紀中尉は、旧制九段中学2年生だった昭和11年(1936)2月26日、思わぬ形で二・二六事件に遭遇した。
 雪の朝、音羽の自宅から市電に乗って九段に着くと、軍人会館(現・九段会館。東日本大震災で死者が出て休館)の前に高く土嚢が積まれ、重機関銃が目白通りを睨んでいたという。

 ものものしい雰囲気だが、誰も何も言わないので学校に向かって九段の坂を上がっていくと、坂の途中にあった偕行社前にはカーキ色に塗られた陸軍の乗用車がずらりと並び、それぞれのフロントガラスに、「陸軍大臣」「軍事参議官」などと書かれた紙が貼ってあった。
 一時間目の授業は通常通り終わり、二時間目の途中、学校に突然憲兵がやってきて、ほどなく生徒たちに帰宅が命じられる。
 そのとき初めて、陸軍の一部叛乱部隊によるクーデターが起きたことを知ったという。軍人会館には戒厳司令部が置かれていて、ものものしい土嚢と機関銃はそれを警護するためのものだった。

 小野さんが学校を出て、都電に乗ろうとふたたび九段の坂を下りると、靖国通りは当時ではめずらしい交通渋滞になって、自動車が列をなしていた。市電も、一部路線は迂回させられたものらしく、九段近辺では何両もの電車が溜まっていた。
 それでも市電に乗って音羽に帰ると、自宅あたりではこの日の騒ぎのことを誰もまだ知らないようで、いつも通りの日常生活だったという。

 今でいえば、地下鉄有楽町線護国寺駅から、江戸川橋、飯田橋、ここで東西線に乗り換えて一駅で九段下までだから、存外に近い距離である。わずか数キロ先に戒厳司令部が置かれているのに、それだけ情報の伝達の遅い時代だったのだろうか。



 二・二六事件の詳細には触れないけれど、軍の兵力を私兵化して重臣を殺した「青年将校」たちの行動について、私は一片の共感も抱いていない。どんな時代であれ、仮にも法治国家で、当時の立憲君主が任命した重臣たちを、天皇の股肱であるはずの、また国民の負託を受けて国を守るべきはずの軍人が、兵を率いて殺すようでは世も末である。

 なかでも岡田啓介総理、鈴木貫太郎侍従長が殺されていれば、のちの大東亜戦争の結末はどうなったか、考えただけで寒気がする。

 「憂国の士という者が出てきて国をつぶす」と、昔、勝海舟が言ったそうだが、まさにその通り。海兵69期で、ソロモンの陸戦隊で飢えと病とに苛まれながら終戦まで戦い、戦後は弁護士になった前田茂大尉は、二・二六を評して、
 「軍人の無知による視野狭窄ゆえに起きた事件。重臣を殺せばよくなるほど、世の中は単純なものではない。いま思えば昭和の軍人には世界観が欠けていた」
 と。
 ただ、元零戦搭乗員で敬愛する角田和男さんのように、農村での生活実態からずっと二・二六事件を支持していたという人もいて、実生活に裏打ちされたそんな観方は尊重せねばならないと思う。「支持する層も一定数いた」というのも、偽らざる歴史的事実だからだ。

 事件当時予科練習生だった角田さんは、陸軍蹶起部隊(支持する立場の人は叛乱軍とは言わない)の討伐に出動を命じられそうになった際、何人かの同期生と一緒に隊を飛び出して陸軍に合流しようと、本気で考えておられたという。


 ……だけど、いまの若い人の中に、ミーハー気分で叛乱将校たちに憧れを抱いている人がいるのはいかがなものかと思う。歴史に興味を持つのはいいけれど、衣食住に不自由せずにぬくぬくと育った人には、おそらく血を吐くような彼らの本心は絶対にわかるまい。もちろん、私にもわからない。ただ、両方の立場の人に取材してきているぶん、「現代の若者には絶対にわからない」ことだけは理解しているつもりだ。


 ところで私は、二・二六事件で命を狙われ、奇跡的に助かった時の総理大臣、岡田啓介海軍大将のご子息、岡田貞寛主計少佐と交詢社ネービー会で何度かお会いしたことがある。
 岡田貞寛さんもじつに素晴らしい方で、岡田さんを語りだすと長くなるから控えるけれど、岡田さんには『父と私の二・二六事件』(単行本・講談社1989/02、文庫・光人社NF文庫 1998/01)という名著がある。

 事件当時、貞寛さんは19歳の海軍経理学校生徒で、家族、しかも海軍に籍を置いた息子の目から見た事件の模様、真相は、まさに余人では語り得ないことである。しかもその文章たるやじつに明瞭にして品があり、読み応えがある。


 岡田さんは、限られた仲間内ではよく随筆を書いておられたりもしたが、ご本人はあまりご自分の体験や考えを世に出すことを好まない方だった。
 お亡くなりになる前、交詢社ネービー会に届いた最後の出欠ハガキには、

 「老兵は消えゆくのみ。死に方用意、帽振れ!」
 と書かれていた。おそらく、死後は本も絶版にするよう遺言があったのだと思う。

 『父と私の二・二六事件』、単行本も文庫本も、いまは絶版、品切れ状態で、古本を買うしか入手手段がないのが残念だが、昭和史の一端を知る上でぜひ一読を薦めたい好著である。


 戦後、ある慰霊祭で、角田和男さんと岡田貞寛さんが同席したことがあった。角田さんは、
 「かつて、本気で殺そうと思った総理大臣の息子さんですからね、挨拶の言葉に困りました」
 と率直におっしゃっていた。本音だと思う。岡田さんも角田さんも、いまやこの世にない。
 これも、歴史のひとコマだろう。

 

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